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小説 桜ノ宮 ㉑

あ、名前、きちんと言っていなかったですね。
芦田美里と申します。
職業は専業主婦です。
夫とは今、別居しています。
あのう、そうですねえ。去年の今頃ですかね。
家にいると、ちょうど天気が悪くなり始めていまして。
雨が降るかもしれないなって、部屋の窓ガラス越しに外を見たんです。
その時に窓ガラスに映った自分の顔を見て、あれ?この人、誰なんやろうって思ったんですよね。

何だかこう、私というのは、夫と出会ってからずっと、夫に気にいられる女性になろうとか、子供が産まれてからはこの子にとっていいお母さんになろうとか、とにかく自分に上書きばかりしてきたんですよ。

こんな髪形好きやったかなーとか。こんな服装好きやったっけとか。
窓に映った自分を見た時に、今まで閉じ込めていた疑問が一気に吹き出したんですよ。
不安になって夫に電話したりメールしたりしたんですけど、まったく返信が無くて。
朝早く出て帰りも遅くて、当時の彼は本当に多忙だったんです。
連絡が取れないのも仕事中だから仕方がないんですけど、とにかく私は不安でたまらなかったんですよ。

だから、今すぐ話を聞いてくれそうな親友の上本真美…真美ちゃんに連絡したんです。
真美ちゃんは派遣の仕事をしていて忙しいのに、電話に出てくれたんです。
しかも、仕事を早退してすぐに家まで来てくれた。
手を握って一緒に泣いてくれました。
よくがんばった、今までよくがんばった。
そんなこと言ってくれる人、誰もいなかったから、私嬉しくてさらに泣いてしまいました。
ひとしきり泣いた後、真美ちゃんは家の中を見回して「方角が悪い」って言ったんです。

私はマンションを買う時に風水のことをちゃんと調べていたんで、そんなことは無いって言ったんですけど、真美ちゃんが信心している宗教では、この方角は良くないって言われて。
真美ちゃんと会うのは2年ぶりくらいだったんですけど、その間に真美ちゃんはハニワ誠実教に入信していろいろ勉強したらしいんですよね。
あと、真美ちゃんの職場が桜ノ宮にあって、「ずっと黙っていたけど美里ちゃんの旦那さんが若い女の子と桜ノ宮のホテルに入るところを何度も見た」って言うんですよ。
旦那さんが浮気したのもこの家の方角が悪いからや、今すぐ、家から出て!てもうそれはそれは心配してくれて。
私、普通の状態ではなかったんで、とにかく真美ちゃんに言われるまま、自分と娘の荷物をスーツケースにつっこんで、家から出ていったんです。
スーツケースを引きずりながら、幼稚園に娘をお迎えにいって、そのまま実家へ帰りました。
両親はびっくりしていましたけど、私の様子がおかしかったので優しく受け入れてくれたんです。
夫から連絡ですか?
ありました。その夜に。でも、出る気になりませんでした。

それから、私は真美ちゃんの紹介でハニワ誠実教に入りました。
「何も考えなくていい。美里ちゃんのことは神様が決めてくれるから」って言われて、ほっとしました。
それから、私と娘を守るためだって、少しずつ真美ちゃんがうちにハニワを持ってきだして、今、こんな状態に…。

これ、高いんですよ。真美ちゃんに請求書を渡されてびっくりしました。
両親に払ってもらいましたけど。でも、こんな家に住んでいてなんですけど、もううちの両親もお金がないんです。私が働きに出なければって思って、面接を受けにいっているんですけど、40過ぎた女をやとってくれるところなんてなかなか無くて。
あっても、安月給の重労働。
来年、子供を私立に入れたいのに困ったなあって。
そうしたら、真美ちゃんが、たぶん旦那さんが弄んだ女の人の怨念でうまくいかなくなっているんだって言うんです。
そういう人には贖罪が用意されているからって、同じハニワ誠実教の徳の高い男性とその、…セックスをすれば、許されると。
私のような方、多いんですってね。それで、旦那さんが浮気した回数をその男性たちとこなせば、すべてがうまく回るって言うんです、真美ちゃんが。

昔から真美ちゃんの言う通りにしていれば、何でもうまくいったし、そうするしかないのかなって。私、真美ちゃんと意見が合わなかったのって、旦那と結婚する時だけだったんですよ。
最初から真美ちゃんの言うとおりにしていればこんなことにならなかったのかなって、ものすごく後悔しました。
知らない男の人といっても同じ宗教の仲間ですし、そのへんは少しだけ安心でしたけど、やはり、そういうことをするのはしんどくて。

何だかより一層不安定になってしまったんですよね。何だろう、ものすごく元気か落ち込むかのどっちかなんです。
そういうことをするようになってから、一度、夫と会ったんですけど、その時ものすごく強気で自分でもびっくりしてもて。
たぶん、夫のところへいく前に会っていた男性がすごく豪快なひとで影響されたんやと思うんですよ。

そういうこともあって、この間、もう嫌だって真美ちゃんに言ったら怒られたんです。でも、真美ちゃん怒るだけじゃなくて優しいから、こうやって、先生をちゃんと私に紹介してくれて…。
先生、どうぞ、お茶を飲んでください。
真美ちゃんから買ったハニワ誠実教最上級のお茶。あ、先生は飲みなれているかもしれないですね。ふふっ。
でも、こうやって、真美ちゃん以外の人に話すと気が楽になります。
やはり、先生の徳が高いからですね。
いや、私、ひとりでしゃべりまくってしまってすみません。

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