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小説 桜ノ宮 ㉙

暦の上ではもうすぐGWであるというのに、今年はその気配すら感じられない。
どこへ行っても営業が自粛されたり、短時間しか活動できなくなったりしているからだ。
繁華街から人は消えたが、住宅地では増えた。
企業がテレワークを推進し、子供たちは目下休校中の身である。
朝早くから遅くまでエネルギーを持て余した子供たちの声を聞くと、広季は一人娘の可南を想い、涙を流していたのだった。
しかし、そんな毎日も昨日で終わった。
ホテルを去った後、妻・美里の実家へ夫婦で赴き、荷物をまとめ可南と三人で福島のマンションへとついに帰ったのだ。
奈良への墓参りから帰ってきたばかりの美里の両親に事情と御礼、お詫びをきちんとした時、広季は久々に清々しい気持ちになった。
近所の洋食店でテイクアウトしたオムライスを家族で頬張りながら、広季は幸せをかみしめた。
風呂に入って、今までのことを思い返していると美里が黙って浴室へ入ってきた。
何も身につけていなかった。
「なんや、可南と一緒に入ってたんやなかったんか」
「そうやけど。可南といっしょやったから、体しか洗えてないんよ」
美里はシャワーで髪を濡らし始めた。
「可南は?」
「もう寝た」
可南が産まれてからというもの、一緒に風呂へ入ることなどなかったので広季は落ち着かなかった。
シャンプーを髪につけて黙々と洗っている妻の肢体をじっくりと見る。
以前よりも胸が張り、ウエストも絞られていた。
可南を産んだ後、全体的に下がり気味だった美里の体。
何人の男がこの体を見て、こんなふうに変えてしまったのか。
髪を洗うことに夢中になっている隙をついて、広季は美里の胸を人差し指で突いた。
「やめてよ」
「ええやんか」
こんなやりとりも懐かしく嬉しかった。
シャンプーをシャワーですすぎ落とした後、美里は丁寧にコンディショナーを髪に伸ばした。
広季はふと、美里の下腹部を見た。
シャンプーの泡が陰毛にたまっていた。
「なあ」
「ん?」
「下の毛、剃らせてくれへんか」
「何言うてんの」
「1回だけでええねん。何かそしたら、いろいろすっきりしそうな気がする」
美里は黙ったまま、コンディショナーをシャワーで流し始めた。
洗い流した後、手首にはめていたゴムで髪をまとめた。
広季は風呂から体を半分出して、うなじに口づけた。
「ええよ」
「え」
再び風呂に体をしずめる広季を見下ろして美里は話を続けた。
「それで忘れてくれるんやったら。どうしたらいいの」
「ほな。そうやな」
広季は風呂から出た。
美里を床に座らせ、背を風呂の側面に当てた。
両手で足を広げさせると、自分の髭剃り用のカミソリを手に取り、鼠径部から下にかけて刃を滑らせた。
何度か剃るうちに、素肌があらわになっていく。
時折、シャワーで陰毛を洗い流し丁寧に剃りあげた。
剃り残しがないか、指で確認すると美里がため息を漏らした。
うっとりと目を閉じ、半開きになった口から舌先が見えていた。
知らない女みたいだ。
広季は突きつけられた現実に涙ぐんだ。

昨夜の美里との入浴を思い出すうちに苦しくなった胸をさすりながら、広季は上を見上げた。
広季は美里の実家の前にいた。
この家の桜はまだ身振りがよく、風で花びらが散ってもまだ、ふさふさと咲き誇っていた。
「よし。済んだことくよくよしてもしゃあない」
両手で顔をたたくと、大きく息を吐いた。
やや遠くに人の姿が見えた。
少しずつ近づいてくるその女性に会うのは久しぶりだった。
近づく毎に体の中で何かがギラギラと滾ってくる。
今日は決めるぞ!と大口の契約を取りつける前の秘めた興奮に似ていた。
「どうもどうも、おひさしぶりです!真美さんですよね!」
美里の親友、上本真美は、広季の姿を一目見てたじろいだ。
その狼狽ぶりが広季の心に火をつけた。

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