マガジンのカバー画像

人間周辺の話

20
運営しているクリエイター

記事一覧

政治家の尻を拭う者について。日記。

どんな職業にも理想を言えば適した人格が求められるべきであろう。けれども人格を雇用主へ供せよと鞭を振るったところで錆のように剥離するものではない。しかし共同体の健康を気にするならそれでも希求せられるような、謂わば生き様と神への信仰に似るほどの何某かが無ければらない。

今の世で言われる「責任」という語句の概念は実に短い時間に押し込められるようになっている。というのも被害者と加害者にそれぞれ慰めと罰を

もっとみる

マズローの欲求階層説について。雑記。

これは私以外の人も随分気付いておられる方が多い印象だったが、自分でも認めておこうと思う。

ヒトの欲求を表現するにあたってマズローの欲求階層の図が使われる場面は珍しくない。しかし図のみを眺めていると本物のヒトからかけ離れる機会がやがて訪れるようになってくる。原因は少々複雑で、最上層の欲求と最下層の欲求はヒトの胸の中でほぼ同時に発生している事実を見落としている事にあるようだ。

例えば幼児とか赤児の

もっとみる

神への信仰と個人のストーリーの関係性について。雑記。

ヒトは何かに力が有ると信じる。このように書くと極めて非現実的で未開文明の出来事のように思え、現実味や実感は薄くてそんなに単純な生物ではないと否定したくもなるが、その「何か」が予測だとしたら途端に話は変わってくる。

予測を予定や計画と言い換えてもこれは成立する。予め目標を定めてそれまでの過程における手順を厳守し、予測イメージと合致すれば成功と見做し、乖離すれば失敗と断じる。これは一種の人間集団にお

もっとみる

行動改善の難度について。雑記

 季節柄天候がぐずついて雨天の多い日が増えた。ここでいつもの日常に小さな変化が伴う訳だが、いくら小さかろうとヒトに対応力があるという幻想から生み出された共同幻想は確実に忍びよっているようだ。

 毎日利用する電車の駅への通路に当たり前の階段が有り、上り下りの動作も当然いつも通りにこなしているのに雨天故に傘を多くの人が携帯する羽目になると事情が一変するらしい。傘を階段の上り下りの際に横に持つと後続の

もっとみる

不安の作用について。日記。

 人間の五感は矢張り射程距離が短くて、その五感から得られる情報だけで各人が多様な世界観を構築している。それ故に、多くの人間が感情を軽視して理論だけを追い求めれば理性的で知恵に富むのだと思い込んでいる。しかし二者択一を迫られた時に、人間は今所有している情報だけで選択を行い、生存を成功させている。これは確率、物理学、天文学から考えると途方も無い博打打ちである。

 浮世に馴染まないからか地震のニュース

もっとみる

心の機構について。雑記。

 笑いの基準点は学習によって獲得されている。笑いのセンスが年齢に比例した振れ幅を持つのは笑う条件が学習によって更新されている事を示している。幼年期から少年期は単純な短文と印象を結び付けて笑いとするし、青年期から壮年期にかけては建前と本音を複雑に絡めて笑いを惹起させる。

 このように学習は感情表現を多様化させる側面を持っている。他方で産まれて間もない人間の内心には笑った時程の幸福感は存在しないのだ

もっとみる

主観と苦痛について。雑記。

物事を主観的に見る事と認知を歪ませて事実を曲解する事(※以下偏見)には、溶けた金のように人間にある種の斥力を与えているかもしれない。触れれば爛れ、遠退けば惜しい。

最近は異世界転生という創作ジャンルの中でも原点にありながら異端視されつつあるのが、細かな設定を満載した取扱説明書型(※以下取説型)の物語かと勝手に考えている。最近は主人公を一旦トラックの轢かせて、何らかの聖性を帯びた存在が面倒ごとを一

もっとみる

痛覚と生命観の相関について。日記。

 よく言われるような倫理ではおしなべて「苦痛」という概念が使用される。この苦痛を勉学として理解しようという試みではないものの、人間の認識の妙で起こる偏見はとりもなおさず「差別的」という概念にまで波及して纏わりつかないとも言えないので、雑に記す。

 人間が生命を奪って感謝する光景が一定の前提の有無で合理的か狂気的かと見え方が変わる。

 自然を相手にして狩猟や漁を行う時にはいつも獲物を獲得出来ると

もっとみる

健常者支援について。雑記。

 ややお粗末な二番煎じ構成になるだろうとは思うものの言葉の密度・濃度を確かめる必要がある。野山でも自らの思弁を尽くせるほどでないと美味しいの一言さえ毳毳する気がしている。

 この文章は学問的正確性を一切放棄しているので悪しからず。

 「健常者なんて本当はいないのだ」のような枝葉末節の話を持ち出す前に、あらゆる基準や目星を無数に設けておく必要がある。この言葉が単に美辞麗句で終わるのは議論や話し合

もっとみる

五感は解釈特化器官説ついて。雑記。

 私達は往々にして五感を誤解しているように見える。外界の情報を取り込んでいるとしているが、情報それ自体は五感への刺激が伝達されたのみに過ぎず、その刺激の発生源は体内に収まっている場合が殆どだろう。

 然るに五感は自己完結していて中立的で確固とした現実を反映している訳ではない。本来は旧式の自覚方法として瞑想などを用いるのだろうが、水の入った透明なコップに棒や箸を突っ込んで像を屈折させて、それに触れ

もっとみる

悟りとは無私・無我であるか。雑記。

 初めに注意として記しておくとこの文章は悟りを得ている人間の言語化や観察の質に寄せるもので、悟る事が容易か困難かといった入門書的扱いに適したものではない。

 主題に取りかかる。

 悟りを得た人間は有名さと言語化能力の低下が比例しやすい傾向にあるといっても過言ではない。だからこそ教えを求める人間は簡単に迷ってしまうが、悟った後の問題を少数ながらも見事に解決した人間を私はあまり知らない。

 そも

もっとみる

応用行動分析の有機的人間事情について。雑記。

 教育に悩む方々の心労を数字に起こすなど到底できないので批判の意図はない。

 けれど人間について安易にアップデートしていけるなどという新自由主義的な設計妄信に向かうなら、何らかの工夫を要するようにも思える。

 私的嗜好の中には人間の性質の発見も含まれていて、よく調べたり、偶々であっても流れてくるターげティング的な動画を釣られて見てしまう時がある。その派生で応用行動分析についての記事を幾つか読ん

もっとみる

計画と妄想の線引きについて。日記。

 予々人間の脳の能力の幅を考えていて思う事がある。私自身ASD的な思考をしていたので計画と規則を重視していて今でもその傾向は残るものの、自身の脳以上の作用を認識してからは少々緩和されたのではないかと自負している。

 計画を立てる事が賢者の営みとされて久しい気がするが、実際に他人の描く計画・予想図を絵として起こすと人間がいかに前後不覚かが見て取れる。どこで何をするにしても周囲の状況を描き切れる人間

もっとみる

心理学適齢期と心の形状

一応の諸注意。読むのは勧めない。

 最近テレビじゃめっきり見なくなったがネット上には前にも増して心理学者が多くなった。自称なのかは知らないが勢と呼べるほどにはいる。

 やれビジネスに、やれ福祉に、やれ治療に、etc...。そういう具合に様々な処方箋が溢れて、誤飲も誤用もクリスマスのイルミネーションのようにその明暗が楽しまれてさえいるような気がしてならない。

 しかしそんな心理学をマネタイズ(

もっとみる