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崩れてしまった朝活のもどし方 vrs.2
失業元年GW失業した私。
4月で39歳になってしまいました。39年もまた…、早いものです。
とも言っていられず、最大目標『4~5年後の私のために』もごもごと動きだした私は、ようやくここいいかも?という場所を発見しました。
ほかにもいろいろ行ってますが、月の半分を東京都の某事業所でリハビリしています。出逢った人たちもそれぞれ…いろいろ抱えていてでも前向きに頑張る姿に励まされます。
振り返ったらさあ、
その脚本を手放す勇気
今は昔まだ10に満たない歳でした。私は、その日すべてを失いました。
いえ、家族もいるし生活も父は公務員なので生活面では何の失墜はありません。でもあの日はそんな心持ちで帰りの飛行機に乗っていました。
ちょうど今日から30年前のことです。
夢も希望も未来さえも、全て失ったような気持ちを私はいまも忘れることはできません。
いえ、本当は忘れられたら一番楽と自分ではわかっているのです。でも忘れてはいけない
崩れてしまった朝活のもどし方 vrs.1
朝活をスタートしたわけ悪く言えば散々だった。でもいいく言えばいろいろな気づきがあった。
そんな前職でした。
そこの会社でしていたかどうかは不明にしても、これまでの人生の中ではどうかと思えば私はそういう人間だったのだと当時は見返りました。その上ではその言葉はその彼の言葉ではなかったのかもしれません。
そんな私がこれからの自分のためにとやり出したきっかけがここには詰まっていたと思いたい。
終わりと
特例子会社で働く勇気
『特例』と言う名の子会社「あなたはたくさんの人を傷つけています。そんなきれいごとではなくて努力してください」
ある日私は、犯罪者になりました。
母が亡くなって1年が過ぎ、私は障がい特性を考慮して働ける職場として『特例子会社』という会社を選択しました。もう一般雇用には戻れない、あの時はそんな覚悟をしての、人生の中でもしかしたら一番勇気のいる決断だったかもしれません。でももしかしたらそこではそこの