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その脚本を手放す勇気

今は昔

まだ10に満たない歳でした。私は、その日すべてを失いました。
いえ、家族もいるし生活も父は公務員なので生活面では何の失墜はありません。でもあの日はそんな心持ちで帰りの飛行機に乗っていました。

ちょうど今日から30年前のことです。
夢も希望も未来さえも、全て失ったような気持ちを私はいまも忘れることはできません。
いえ、本当は忘れられたら一番楽と自分ではわかっているのです。でも忘れてはいけない、というよりあの時の最期の顔が記憶のそこから拭えないのです。なによりも大事なものを失う瞬間に、人種も年齢も性別も関係ない。

今でもそう思います。
そのくらいその存在は、私にとってすべてでした。

抜け殻を生きる

それからは何をやっても私は自分の人生での矛先がわかりませんでした。
自分の在り方さえ見失っていました。
なんとなく理由をつけて選んだ道は、好きだったけど道はつかなかった。
今思えばそもそも体力が持たない、そんな職種でした。
そう気付いた時は途中であったはずなのに、血の奥に煮えたぎる我心が私の視野をどんどん狭めていきました。

「人に言われない人生」の言葉の中で生きた私にとって『失敗の選択肢』を選んだことを見省る勇気はありませんでした。だからいつも『どこかで挽回したい』のではなく『しなければいけない』という焦りがあったと振り返るのです。

今回もきっと焦りもあったでしょう。

失業して3か月。
休みきらない中での新しい模索と選択肢。

でも別の角度から見るとじっとしていられないその特性がADHDの1つなのかもしれないとの気づきもありました。
それでも過去の失業期間と違うことはただ何もできない、しない日々ではなく、そんな状態でも今回は自分の苦手を克服することや対処法にシフトした機関へ助力を借りる選択ができたことです。

徐々に変わったもの

子供のころから20代30代前半…と私は自分を蔑むところが多くありました。いろいろな可能性や試みをたくさんありました。気づきもたくさんありました。でも私にはそこで得たものに関して『それでもよかったんだ』と思える材料がそもそもなかったことがわかりました。

それが『パーキンソン病』という病気です。

医師の説明では『楽しい』『嬉しい』と思える『ドパミン』という物質が私の脳内では生成しにくい体質だったようで、ほとんど出ていないのが検査でわかりました。

今でこそ他愛のない毎日が楽しいと思えるようになりました。
嬉しかったのは3回目の受診で「表情が豊かになった」と医師に言われたことです。
ただ私はこれだけでもなかったと思いました。
どこかMAST思考だった自分を振り返ると育った環境や教育、そしてそこに違和感がありながらそこから抜け出すことが一生…できないと思うきっかけになった恐怖な出来事の積み重ね。
そんな想いが私の中にある可能性に蓋をしてしまったと気づきました。

洗い物の1つも、トイレ掃除さえも…

私はこの時オンライン講座の心理学を少しだけ学びました。そこに『脚本分析』というのがあり、どういうものかというと自身の脚本によって人は可・不可を人は決めてしまう性質がある…といったことが書かれていました。
その文面を読んだ時とてもハッとさせられました。
まるで自分のように思えました。そして知ることにより蓋をしていた可能性が少しずつでも溢れてくる気持ちになれました。自分でも実感するぐらい、洗い物の1つも、トイレ掃除も…他愛のない日常の1つ1つがこれでもかってほどうれしくてたまらないのです。
結局のところは『変われない原因』を作っていたのは私だったかもしれません。

一歩を踏み出す勇気

もちろん人生、こんなチャレンジ精神だけでは生きていけないということはわかっています。でも私の、一番いいところかもしれないと今は思っています。

もちろん、過去を思い出さないわけではありません。PTSD…ではないとは思いますが、随所、思い出すと脳内に渦が巻き上げ息も乱れ、立ってもいられなくなります。でもそれは何処かで断ち切らないと何も始められない、と思います。

「その人はその人、自分は自分。他人は他人」
「努力に勝るものはなし」

たとえ反面教師の親たちでしたが言葉に嘘はないと思うのは確かにその通りと思い返すからです。それに反面教師は私もかわらないと気づくと似た者親子だったのだと仏前の母が笑って応援してくれているようにも感じるのです。このような気持ちは履き違えているでしょうか。

また、今更気づくことに「遅い」という人の言葉もあると思います。
でも私は失敗からだけでなくうまくいっている中にも『気づき』はあると思うのです。

新しい世界で得たもの

辞職して3か月、傷だらけの心でした。
切り替えはするのですが、本当に切り離す苦しさ、言葉の矛盾がその想いを錯綜させました。

本当に権威をもつ、というのは本当に注意が必要だと思いました。もちろんそういった平べったい話ではないのですが、今後、本当に人の心を汲み取ることの大事な気持ちと言いますか感覚…を経験させていただいたのだと思いました。

もしかしたらご褒美もあったのかもしれません。
そんな私の一つ一つにグッドサインを示してくれる人がいろいろなところでいてくださることに気づくことができました。
これもまた、お薬のお陰とはいえ『ドパミン』という大事な物質が出てくれているからに他ないと思っています。

人は一人ではない。

そんな当たり前のことが改めて気づいた今でした。2年間、切ないこと悲しいことばかりで、確かに苦しかくもありました。
上司は私に最後「みんなでグループワークを楽しくできたこと、忘れないで」と言いました。でもその後から退職日までの日は語っても仕方がないような事象がたくさんありました。

最後は私から「お互いわだかまりなく辞職させてください」と言いました。
誤解のないようにいえば『もうこれ以上何もあなたから聞きたくありません』と言うことでは決してありません。切にお互いがいがみ合って辞めたくないなと思った、ただそれだけでした。

それでも4年、5年…と経ったときに、今までになかった『工夫したこと』『改善のために取り組めたこと』がたくさん取り組めた2年でした。
これからも苦しいときはきっとたくさんあります。次に活かせる、方法を見出せる、病気もチャンスに変えれる可能性はきっと自分の中と他者との関わり方の中にきっとあると思うんです。

次で最後…

私は子供の頃に大事な親友を亡くしました。彼は私にとって何にも代えがたい、全てでした。失ってからの私は自分の多くの心の時間を止めずにはいられませんでした。

子供のコトバやキモチは時として残酷です。

引っ越した先では特に事情も知りませんし、そういう時代でもありません。カウンセリングも勧めるわけでもなく、私のただ信念もなく、気持ちも定まらない姿は多くの人の失笑に値しました。
同級生の滑稽に見ていた顔が今でも遠くに見えることがあります。

でも仕方がないとも思うんです。
彼らも私もまだまだ幼かったのですから。

そして逆も然りです。

お互い大人になって色々変わるものもきっとあるでしょう。
人生きっとこれで良いんだと思えるようになったということでしょうか。それでも思うことは気持ちを封じなくても良いということと『無知』ほど怖いものはない、それを私はこれまでの人生で学びました。
正しい知識のラインはさておき、『無知』のままでいることで結果自分にその刃が向いてくるのが人生だと思いました。

これからやりたいこと

私がこれからやりたいこと。
それは『還元』です。

私はこれまで苦しい人生でした。たくさんの回り道をしました。
でも巡りあったものによって『工夫することの大切さ』と『人に手を差伸べる適所』を教えられた気持ちでいます。

まだ漠然としてますが、時代も変わりました。
今の私にできることは、まず現状をよく把握することだと思います。自分の症状をより知って他者との関わりの中に、お互いがwin-winになれる方法が模索できるようになったらうまく締めくくれるのかな、と。

人間だから失敗もある。だからいつもその時の精一杯の努力って必要なんだよね。そんな気持ちをやわり持っているところです。それに失敗からしか(?)自分を高めてはくれませんしね。
大事なのはそれを何に繋げるかですよね、きっと。

私も目の前のあなたも良い未来に繋がると良いですよね!

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