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春休み、浜辺で祝うひな祭り
今では、ひな祭りと言えば、日本中雛飾りだが、これっていつぐらいから広まったことなのだろう。
私は、61歳。
私のふるさとでは、私が子どもの頃は、雛飾りを飾る習慣はなかった。(今は、飾っているみたい。日本中そんな感じですよね。)
でも、ひな祭りの思い出は濃厚で、思い出すと幸せな気持ちになる。
たぶんふるさとのひな祭りは、旧暦の3月3日だったんだと思う。
はだ寒さより、うららかさのほうが記憶に
真っ暗にしてムスメを寝かしつけていたワケ
高校時代の生物の先生は、中年の男性でした。
ゲイだったのかなと思います。
女子生徒には関心がないのか、2年間教わりましたが、女子が指名されたことは一度もなく・・・。
でもそれに対して、女子から不平不満はなく、女子はみんなのんびり授業を受けていました。
先生は、男子が、その中でも、小柄で素直、そして頭のいい男子が好きだったように記憶しています。
いつもそういう生徒を指名し、時には、参考書を
noteを書き始めて17日目。
手探りでnoteを始めてみたら、なんだか回りはみんな、自信に満ちあふれた人たちばかりに思えて、トボトボといった気分になってしまった。
まあ、そりゃあそうでしょう。
最初のページに登場する皆さんは、選りすぐりのトップランナーなんだから、と自分をなぐさめ・・・。
noteには何を書いたらいいの?なんてことを今頃になって考える。
で、そういうテーマの文章を、あちこち探し読ませてもらうと、皆さん、
保育園を路上の話し合いで決めた日
育児休暇が開けると同時の転勤で、見知らぬ土地に引っ越すことになりました。
今から28年前のことです。
ネットなどなかった時代。
現地に行って家を探し、その家の近くで保育園を探すしかありませんでしたが、それに使える日にちは1日。
見た家、1軒・・・・・。
時間がなかったのです。
それに、時期が遅く、あまり物件も、残っていないということでした。
この家については、機会があったらまたそのうちに
7割のできでもササッと終わらせた方が楽なんだな
親子でも、ムスメと私は気質が違っていて、小さいときからヘェ~と思うことが多かった。
その中の一つに課題への取り組み方があった。
ムスメは宿題などササッと片づける子どもだった。ササッと片づけてあとはのんびり楽しく過ごす。やった中身を見ると、完璧ではない。彼女に10の力があるとしたら、7くらいのでき。
ヘェ~、こんなやり方もあるのかと驚く母。
私は、たぶんどこか完璧主義のところがあったのだろう
毎日の暮らしでしていること3つ
①朝、オットを玄関の外まで見送る。
そして、決まりことばの「いってらっしゃい」「気をつけて」を言う。これは、仕事をやめて20年あまり毎日していること。
人生なにがあるかわからない。これがこの世の別れになるのかも知れないからね。
そう思うと、前日のケンカの名残も、ひとまず引っ込め、フラットな気持ちで見送ることができる。
ムスメがいた頃は、ムスメもそうやって見送っていた。
②そのあとは、新聞
私は、死のまぎわに本を読んでほしいと思うのかな
朝日新聞土曜版(3月13日版)に、斎藤泰子さん(80歳)という方の話が載っていました。
内容は、ガンに冒された夫さんとの最後の数ヶ月についてでした。
斎藤さんの夫さんは、病状が日に日に悪化し、ついには大好きな本も読めなくなり、目も弱り、起き上がるなもやっとになったある日、泰子さんに対して、五木寛之の「大河の一滴」を読んでほしいとおっしゃったとのこと。
それからのようすを、泰子さんは、
それか
海につかったクルマの中で「春の予感♪」を聴いたことがあるよ
むかしむかし、今から30何年か前のこと。
その日は、親戚が引っ越すというので、手伝いに向かっていた・・・。
穏やかな春の日。
左に海を眺めながら、クルマを走らせていたら、道の上を水がチョロチョロ流れているところにさしかかった。
ん、なんだ?
とは思いましたが、1~2センチの水。
なんかわからないけど、まあいいかと、そのまま突っ込んだ私。
ところが、ほんの1~2分で水は見る見る間に高さを増し