春休み、浜辺で祝うひな祭り
今では、ひな祭りと言えば、日本中雛飾りだが、これっていつぐらいから広まったことなのだろう。
私は、61歳。
私のふるさとでは、私が子どもの頃は、雛飾りを飾る習慣はなかった。(今は、飾っているみたい。日本中そんな感じですよね。)
でも、ひな祭りの思い出は濃厚で、思い出すと幸せな気持ちになる。
たぶんふるさとのひな祭りは、旧暦の3月3日だったんだと思う。
はだ寒さより、うららかさのほうが記憶に残っているし、必ず磯遊びをしていたってことは、春休みだったのだろうから。
私たちは当時、ひな祭りとは言わず、節句と言っていた。
節句は、子どもにとっては一大イベントだった。
女の子はみんな、自分だけのお重をつくってもらって、友達と、浜辺の岩陰で食べるのだ。
ま、女の子だけでなく、あばあちゃんたちもお仲間と連れだって、やってきていた。
お重は三段で、一段はご飯もの。巻き寿司だの、ちらし寿司だの。ときには、磯でとってきた貝類を炊き込んだご飯とか。
二段目はおかずもの。
三段目は、色鮮やかな雛菓子。
ふるさとの海は、右から左に行くにしたがい、砂が大きくなり、浜辺の真ん中辺では碁石大になっていた。もっと行くとこぶし大の大きさの石。
石はまあるく、すべすべで、ゴザを敷かなくても大丈夫。
私たちは、風の当たらないあたたかな岩陰で、お重を広げ、ワイワイ楽しんだものだ。
今だったら、一人で三段ものお重、もてあますよなあ・・・なんて思うが、当時はたぶん満ち足りた気持ちになっていたのだろう。
わが家には妹もいたので、母は、私たち姉妹と、祖母の分までお重を作っていたのだから、九段ものお重になる。
私にとっては牧歌的で幸せな記憶だが、当時の母はどう思いながら作っていたのだろう。
それを聞こうにも若くして亡くなった母に聞きようもない。
そんな幸せなひな祭りの記憶を持つ私だが、ムスメのひな祭りは手抜きだったなあ。ごめんよ、ムスメ。