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後悔しない選択なんてきっとない。でも、だからこそ。
「後悔しない方を選んでね」「それでほんとに後悔しない?」「後悔しても遅いからね」
後悔しないようにと、言われたり聞いたり。相手は自分のことを考えてそう言ってくれているけれど、言われた方は緊張感が走る。
「あーー、どうやったら後悔しない人生を送ることができるんだろう。」と考えてしまう。「人生」という言葉はちょっと抽象的すぎるので、言い換えてみる。この場合は、選択に。
「どうやったら後悔しない
【いち文で。】自分の居場所を探すために、ここから逃げてもいいー『西の魔女が死んだ』よりー
『西の魔女が死んだ』からのいち文です。一言でってわけではないですが、短い文章のこともここでは【いち文】としておきましょう。
さて、日本では我慢することが美徳とされているように思います。よく、石の上にも三年ということわざが引用されますよね。じっと我慢して花開く、そんなストーリーはアニメや映画、小説などに出てきます。また、人の心のなかにもそのストーリーを良いと思う価値観が入り込んでいるように思い
【いち文で。】時間のケチケチと豊かさのケチケチー『モモ』よりー
言わずと知れた名作の『モモ』に登場するいち文です。
時間をケチケチするとは、時間を節約するとか、効率的に何かをするとも言えそうです。私たちは日々、効率化の波に襲われているでしょう。新たなテクノロジーの開発や待ち時間の短縮などによって様々な時間を節約することができています。
それ自体は良いことで、不必要な時間や面倒な時間の短縮によって、その時間を別のことに充てることもできます。そうやって日
何者でもないという不安
物質的には満たされている。ご飯も食べられるしお金もまあとりあえずはやっていける。スマホもあるし娯楽はそこそこ楽しめる。だけど、なんだか満たされない感覚がある。そうして、私の人生の意味とはなんだろう?と考えてしまう。
最後の問いまで行き着くかどうかは人それぞれだとしても、なんだか満たされないという感覚を抱いたことはあるだろうか。
なぜそう思ってしまうのか。それは、ひとえにこの固有の存在とし
ただ聴くこと、その力強さ
僕は中学生だった時、学校に行けない時期があった。部活動での人間関係がうまくいかず、それによって学校に行けことそのものも嫌になってしまった。
学校に全く行かなかったのは何週間かだったと記憶しているが、その後は教室とは別のところに遅刻早退する形で学校に通い始めた。
その時、スクールカウンセラーの方にお世話になった。その方はとても優しく、僕がこれからどうしたいのかを丁寧に聞いてくださった。
効率化のたどり着く先。
現代では、スマホによって多くの人が簡単にマルチタスクをすることができるようになった。僕もその恩恵は受けていて、隙間時間にこうやってNoteを少しずつ書くこともできる。ただ、それは良いことばかりなのだろうか。
僕が電車に乗っていて衝撃的だったのは、ゲームをしながらアニメを見ている人がいたことだ。どっちに集中しているのか、というか集中できているのか、不思議で仕方なかった。
また、散歩をしてい
言葉が響く。ーその不思議さについてー
本を読んでいて、とある文章が心に響く。本でなくても好きなアーティストの名言やアニメでのワンフレーズ、映画でのセリフなどに心打たれた経験のある人は多いだろう。
それを観たとき聴いたとき、思考する間もなく言葉が響いてくる。ピンとくる、腑に落ちるなどの言い回しがあるが、要するに「分かる」ことの言い換えだろう。言葉を通して何かが直感的に分かる、その時の感覚を僕は想定している。
僕にとってそういう
なぜ古典/難解な本を読むことに意味があるのか
何かを学ぼうとすれば、ある程度、学問的な本を読むことがあるだろう。僕は哲学や思想などに関心があるので、そういった本を読むことが多い。
仮に哲学を例に挙げるとするならば、ただ解説本を読むだけでなく、古典にもチャレンジしなさい的なことを言われること、そういった発言の投稿を見ることがあるだろう。それで古典に挑戦してみると、たいていは一瞬で挫折する。ドイツの哲学者であるイマヌエル・カントが書いた『純
考えるより動くことが大事な理由―AIとの比較によって―【エッセイ】
入り口
ネットを開けば様々な情報を得ることができる。現代では当たり前の、このことがどのような影響を及ぼしているのだろうか。一つに、「実際に経験していないにも関わらず、それを理解したと勘違いしてしまう」ことが挙げられるのではないか。
それについての情報をたくさん得ることは、たしかに有益である。しかし、調べるだけでそれを理解したと言えるのだろうか。実際にやってみることの価値はなくてもいいのだろ
不安ってなんなんだろう?
不安に囚われ、悩み、悲しみ、何も動くことができなくなってしまった。少なくない人がそのような経験をしたことがあるのではないか。そもそも、どうして人は不安になるのだろう。不安そのものがよくわからない存在だけれども、不安とうまく付き合っていくために、雑談として少し記したい。
僕が思うのは、不安は未来のことにしか抱かないという特性がある。過去や現在に不安はない。ここで、過去についてはわかるけど、現在に
人生の重要な決断に迷ってしまう人へ―『西の魔女が死んだ』より―【エッセイ】
入り口
生きていると、時に自分にとって大きな決断をしなければいけない時が来る。どの学校に進もうか・進まないか、どの企業に就職しようか、退職しようかなど、である。そういった決断をするとき、人はしばらく悩み考え、不安になることを経験するだろう。どのような選択をしても、その先が見えないため、自分の決断に自信が持てないのだ。後から振り返ってみれば、「あの時、こっちをえらんでよかったな」と思うことはある
『〈私〉を取り戻す哲学』―現象学の強み―
岩内章太郎著、講談社現代新書(2023年)から出版。
要約(本書の問いの設定)
本書の表紙に書かれている「なぜスマホを見続けてしまうのか」という問いに対する答えは、「人は退屈しているから」である。
人類の発展は衣食住の安定の代わりに、己の欲望の矛先を失ってしまった。刺激がなく手持ち無沙汰になっている。それは、宮台真司のいう「終わらない日常」と同じである。
人は退屈なままではいられないので、