人生の重要な決断に迷ってしまう人へ―『西の魔女が死んだ』より―【エッセイ】

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 生きていると、時に自分にとって大きな決断をしなければいけない時が来る。どの学校に進もうか・進まないか、どの企業に就職しようか、退職しようかなど、である。そういった決断をするとき、人はしばらく悩み考え、不安になることを経験するだろう。どのような選択をしても、その先が見えないため、自分の決断に自信が持てないのだ。後から振り返ってみれば、「あの時、こっちをえらんでよかったな」と思うことはあるけれど、それでもやっぱり悩んでしまうのが人間であろう。

 なにを選ぼうとしても、未来のことなんか誰にも分からない。そうすると結局、「どの選択肢が一番良いか?」ではなく、「どの選択肢なら一番後悔しないか?」という基準で選ぶことになる。

 そんなことは分かっている。問題は、どうやって選んだら自分が納得できるのかというその方法である。その答えは誰も教えてくれない。というか教えられない。「自分」で決めるのに、その方法を他者から教えてもらうことは矛盾しているからだ。けれどそれは、なんでもかんでも自分一人ですべて決めなさないというわけではない。そのヒントはどこかにあるはずで、私たちはヒントから何かを学ぶことができるはずだ。

 今回は、そのヒントを『西の魔女が死んだ』に求めてみよう。不登校の主人公であるまいは、最終的に新たな学校に行くことを決意する。その勇気と心強さから、「自分の決断に自信を持つこと」のヒントが隠されているのではないだろうか。

『西の魔女が死んだ』のあらすじ

 主人公のまいは中学校に進学してすぐに学校に行けなくなってしまった。それを心配したママは、まいに初夏のひと月余りをママのママ―この母方のおばあちゃんが西の魔女である―の下で過ごすように提案した。おばあちゃんが大好きなまいはそれに喜んで、二人の暮らしが始まる。ある日まいはおばあちゃんから、おばあちゃんの家系が本当に魔女の血統であることを聞き、魔女になるためのレッスンを受ける。まいは、魔女になるために最も大事なことは、なんでも自分で決める事であると教わる。自分の意志を持って生きること、その難しさと力強さを体験しながら、まいはおばあちゃんと生活していく。

 本編では、まいの生活がどのようなものであったかが自然環境の描写を多用しながら描かれている。魔女になるための手ほどきを受けながら、まいは少しずつ成長していく。しかし、「なんでも自分で決めることが大事」といっても、まいの生活は思ったよりも普通である。ただただ家事をしている描写が数多くある。一体なぜ、家事をすることが「自分で決めること」につながるのだろうか?それはきっと、家事が創造することの根本的な行動であるからだ。決めることを創ることと考えたとき、なぜまいの生活が新たな学校へ行くという決断において重要であったか分かるようになる。

生活の創造としての家事

 まいの生活はシンプルである。午前はおばあちゃんの家事を手伝い、午後はお勉強の時間に充てる(しかし、お勉強をしている描写は全く描かれていない)。なぜそんな生活になったかというと、おばあちゃんが「魔女になるためには基礎体力をつけることが大事」といったからだ。まいは不規則な生活リズムで、肉体的な体力もなかった。それを整えるために、早寝早起き、家事とお勉強の生活パターンを作ったのだ。

 おばあちゃんの家には洗濯機はないし、卵やいちごも買うのではなく庭にあるものを取ってくるので、結構な体力づくりになる。まいは家事のコツや知恵などもおばあちゃんに教わりながら、一定の生活パターンを繰り返していく。そうした日々を過ごして、まいは新たな学校に行くという決断をする。

 さて、本題だが、まいはなぜ自分で決断することができたのだろうか。それは、まいにとっての家事の役割を考えたときに、分かるようになる。

 まず、おばあちゃん家に行く前、まいはどのような生活を送っていたのか。愚弟的な描写はないが、まいが夜2時か3時に寝ていることにおばあちゃんが驚くことや、まいが洗濯物を綺麗にたためるようになったことに驚くお父さんの場面から、まいは不摂生な生活を送っていたのだと思われる。

 しかし、まいはおばあちゃんと生活する中で家事を覚えていった。それは、自分の身の回りのこと、自分の生活を自分で整えていくことでもある。また、創造行為とも言えるだろう。家事を通して新たな発見や自分の心地よいものを見つけていくこと、そうしたことの積み重ねが、自分の生活を創ることに繋がっていったのだろう。

 人生は、生活の積み重ねであろう。過去も未来も、24時間が1日であることに変わりはない。だとすると、生活を創ることは人生を創ることにつながる可能性がありそうだ。まいはそれを、家事を通して無意識的に理解していったのではないか。だから、新たな学校にいくというまいにとって重要な決断も自分ですることができたのだと思う。これは物語には書かれていないので、あくまで僕の推論であるが、まいの成長は家事から理解できるだろう。

終わりに

 まいは家事を通して自分で決めること、言い換えれば創ることの大切さに気付いていった。ここから何を学ぶことができるだろうか。一つはそのまま、決断に悩んだときは家事をやってみることである。悩んで疲れてしまった時、家事が疎かになっていないだろうか。そこを見直すのである。

 また、必ず家事である必要もないだろう。まいにとっての生活を創ること、それが家事をすることであった。ただ、その人にとっての生活はその人にしかわからない。自分の生活を見直し、お金やモノ、他人ではなく自分の手足を動かして生活してみること。その繰り返しが、生活を創り、人生を創ることの基盤になってくれるに違いない。

 そうした積み重ねが、ある日、自分の行きたい方向を指し示し、その方向に進む決断に自信を持つことができるようになるのだろう。まいが「西へ」と、自分の内と外の声を聴き、そこに向かっていったように。

 夢を見た。
 真っ暗な、星一つない空と境目のない海。漆黒のビロードのようにまとわりつく海水。自分の立てる波音だけがあたりに響く。
 まいは寂しかっただろうか。いや、そんなことすら考え及ばないで、ただ、ひたすら泳いでいた。ひとりきりだった。
 そのとき、ある声が自分の内と外から同時に響いた。
 「西へ」

『西の魔女が死んだ』59頁


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