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後悔しない選択なんてきっとない。でも、だからこそ。

「後悔しない方を選んでね」「それでほんとに後悔しない?」「後悔しても遅いからね」

 後悔しないようにと、言われたり聞いたり。相手は自分のことを考えてそう言ってくれているけれど、言われた方は緊張感が走る。

「あーー、どうやったら後悔しない人生を送ることができるんだろう。」と考えてしまう。「人生」という言葉はちょっと抽象的すぎるので、言い換えてみる。この場合は、選択に。

「どうやったら後悔しない選択をし続けることができるんだろう?」

 そこで最初のアドバイス達がやってくる。数ある選択に悩んだとき、後悔するかどうかを基準にする。そう思うのはきっと自分だけじゃない。だから、相手に後悔してほしくないという善意(あるいは皮肉や悪意)を込めて、「後悔しない選択を」と言う。

 そんなことはとっくにわかっている。わかっているけど、どうしたら後悔せずに済むのかわからないから悩んでいるのだ。けど、その答えは誰も教えてくれない。ただ「後悔」という言葉が相手の口から飛び出て、それが自分の内に強調されていく。

「あれ、でも、」とちょっと考えてみる。後悔しない、はあり得るのだろうかと。

 多分あり得ない。どんな選択をしても、ふとした時、調子が悪い時、不安な時、あのとき選ばなかった別の可能性に想いを馳せてしまう。それは、なんとなく選んだ場合でも、この道を正解にする!と意気込んだ場合でもおんなじだ。

 しかも、後悔はあとから振り返ってはじめてわかるもの。だから、「これからの選択」に対面しているのに、どうしたら後悔しないんだろう?はお門違いなんだ。

 きっと、後悔しない選択なんてできない。一度決めたことをそのままずっと貫けるほど、人間は強くないから。

 後悔しない人生なんてない。

 でも、だからこそ新しい道は見えてこないだろうか。

 後悔はする。たぶんする。だからこそ、どう選ぶか。

 これから、を考えてもあまり意味がない。自分も他人も、モノも環境も少しずつ変わっていく。未来予測は不可能だ。

 未来予測ができると信じているのなら、ちょっと立ち止まって問いかけてみてほしい。見ているのは未来ではなく、過去に考えて決めたことの結末ではないだろうかと。

 さて、どうやって選択しようか。未来がダメなら、今や過去はどうだろうか?

 うん、なんか良さそう。選択をするのは今の自分。今の自分を作っているのは、過去。ならば、過去と現在のミックスをもとに選択しようじゃないか。

 どうやって?

 それは、いろんなものを吐き出して、そこから大事なものを拾い上げていく地道な作業を経ること以外にはない。

 やりがちなのは、考えること。一見すると良さそう。だけど、自分の思考って夜の海だから、それだけだと何も見えずに沈んでいってしまう。

 吐き出すとは、可視化することだ。書くのが一番良い。自分の今の価値観を作っている出来事を時系列に、または連想的なマップにしていく。

 あれとこれを連関させて、あれからずっと一貫して、最近はこれが好きで、とつなげていく。

 そうすると、きっと自分のこだわりが見えてくる。そしたらもう答えはわかっているはず。しっくりこないならやり直そう。一回で完成させる必要なんてないのだから。

 今と過去をじっと見つめて、こだわりを見つける。それができたのなら、これからの自分もきっと大丈夫。

 未来で後悔するかもしれないけど、過去の自分を尊重できる。強い後悔があるのなら、またこだわりを探し直すのも良い。

 後悔するかしないかの二択ではなく、「その中でどのように選択していくか?」という、淀みや沼に入りながらも沈みきらない姿勢。

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