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【いち文で。】時間のケチケチと豊かさのケチケチー『モモ』よりー

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。

ミヒャエル・エンデ(大島かおり訳)『モモ』岩波少年文庫(2005年)、106頁。


 言わずと知れた名作の『モモ』に登場するいち文です。

 時間をケチケチするとは、時間を節約するとか、効率的に何かをするとも言えそうです。私たちは日々、効率化の波に襲われているでしょう。新たなテクノロジーの開発や待ち時間の短縮などによって様々な時間を節約することができています。

 それ自体は良いことで、不必要な時間や面倒な時間の短縮によって、その時間を別のことに充てることもできます。そうやって日々を豊かな時間で満たすことができれば、私たちはきっと幸せになれると思います。

 ただ、現実はどうでしょう。不必要な時間の削減はできているはずなのに、私たちの幸せは、もしくは豊かな時間は以前より増したと言えるでしょうか。むしろ、豊かな時間さえもケチケしてしまっているように見えます。それは、時間削減の波が私たちの日々の全体を覆っている結果なのでしょう。

 さて、豊かな時間をケチケチするとは一体どのような状態なのでしょうか?

 例えば、急いでいないにもかかわらずそそくさと食事を終えること。友達といる時もスマホを触って何かの作業をすること。家で映画や動画を観るときに倍速視聴をすること。きれいな景色を目の前にして、それを観照するのではなくすぐ次に行ってしまうこと。などなど、無数の時間の節約が挙げられます。

 ふと目を向けてみれば、私たちの生活の大部分は時間をケチケチすることで成り立っていると言っても過言でもありません。

 ところで、冒頭の『モモ』の言葉では、時間のケチケチがほんとはべつのものをケチケチしているのだとありました。

 さて、そのぜんぜんべつのものとは一体なんなんでしょう?

 友達といる時にスマホをいじることや、きれいな景色を前にしてもすぐに行ってしまうことでなにをケチケチしているのでしょうか。

 友達の場合は、人間関係かもしれません。スマホ片手に時間をケチケチすることによって、大切な人間関係も片手間にしてしまうようなケチケチさがあるように思います。

 景色の場合は、感情かもしれません。すぐにそこを通り過ぎて時間をケチケチすることによって、目の前の美しい光景を感受する私たちの豊かな心や感情もケチケチしたものになっているように思います。

 時間は私たちにとって人生の全てです。時間があるからこそ私たちは何かができるし、そもそも生きることができるのです。時間の中に私たちの全てが入っているとも言えます。

 時間をケチケチすることで失われるのは時間だけではありません。私たちの大切な何かも同時に失われています。『モモ』は、そう私たちに語りかけているのです。

 では、私たちの豊かさを持っておくためにはどのようにしたらよいのでしょうか?

 大切な時間をケチケチしないためにはどうすればよいのでしょうか?

 そもそも、大切な時間をどのように知ることができるのでしょうか?

 『モモ』とともに『モモ』を越えて、考えていきたいですね。

 もう一度、『モモ』のいち文を引用して終わりたいと思います。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。

同上。

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