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#教育
もしも自分の娘が障碍児をみて「怖い、こうなるのは嫌だ。」と言ったら?
cakesの有料会員になってもう数年たつのだけれど、入れ替わり立ち代わりの連載の中でも楽しみにしているものがいくつかある。
その中の一つが写真家 幡野さんの連載だ。同年代であり、近い年齢のこどもを持つ父親。そして、僕が父を失った白血病と同じく血液ガンである多発性骨髄腫を患われている。
そんな幡野さんの写真もだけれど文章の切れ味も鋭くて、そして質問の選球眼も毎回唸らされてしまう。今回のは特に色々
他人に判断を委ねないということ
災害時にいつも思うのは、重要な局面は自分で判断しないといけないってコトです。
現場の状況を一番わかってるのは自分です。
お役所や学校は、もはやそこまで頼れない。
周囲がなんと言おうが、自分の判断で動かないといけないときがあります。
マレーシアでは毎年ヘイズという公害があり、ひどいときには視界が真っ白になるほどの大気汚染が起きます。
こうしたとき、マレーシア人の親は親自身の判断で子供を学校に行か
人に何かを教える、ということ。
最近noteでよく『批評』や『指導』といった言葉を見かける。
それらの活動が悪いことだとは思わないが、その内容を見ていて――そしてイベント部で開催した『 #みなうた !』にてプロのボイストレーナーであるmucasiさんのプロとしてのお話を読んだりして、ふと思ったことを書こうと思う。
人に何かを教える、という行為は、簡単そうに見えて実はとても難しいものだ――ということをいけしゃあしゃあと言うと、『そ