天正18年(1590)9月14日は信長、秀吉の御用絵師・狩野永徳が死去した日。信長が上杉謙信に送った「上杉本洛中洛外図屏風」は約2500人が登場し俯瞰的に京の市街と郊外が描かれている。歴史資料といえば文章と思い込みがち。今なら写真や動画など記録手段は様々あるということですね。
(メモ)忍たまの町屋の屋根は、石と板敷き。 瓦もあるが、僧院など特殊な場所(洛中洛外図の解説本より) 画像は歴博のキャプチャです
天正18年(1590)9月14日は信長、秀吉に仕えた絵師・狩野永徳が48歳で死去した日。安土城、大坂城、聚楽第などの障壁画を制作するなど権力者に密着することで狩野派の画壇における地位を確立した。信長が上杉謙信に送った「上杉本洛中洛外図屏風」は俯瞰的に京の市街と郊外が描かれている。
洛中洛外図。図録。久しぶりに出しました。 上杉版とか舟木版に描かれてる町屋が忍たまと同じで(屋根の上に石が乗ってる)、 やはり土井先生ときり丸は京都に住んでたのかな…と思いました