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そうか、見え過ぎていたのか… 屏風図の正しい鑑賞方法?

 地元にも誇るべき美術館というのはあるもので(えへへ)、その一つである東京富士美術館に行ってきました。

 開催中の特別展は《THIS IS JAPAN IN TOKYO ~永遠の日本美術の名宝》《ダ・ヴィンチ没後500年「夢の実現」展》の2つ。
 どちらも見ごたえのある内容でしたが、共通して「なるほど~」と思ったのが、”見え過ぎ”について。自分の「常識」に気づいてしまいました。

洛中洛外図屏風

《洛中洛外図屏風》
狩野派 江戸後期

 定番の京都の”鳥観図”ですが、金の雲がそこかしこを覆っている中、微細な表現なので、隅々まで鑑賞しようと思うと結構骨が折れます。これぐらい大きいサイズだから、何もそこまできっちり描きこまなくても…と思っていたのですが、展示パネルの説明に今まで気づきもしなかったことが書かれていました。
「…これらの屏風が制作された当時、室内の燈明の光で鑑賞した際に、光を反射する金の輝きが絵画の鑑賞に与えた効果を感じてください」
そう、当時室内の装飾に使われた屏風図は、日が暮れると部屋全体が暗くなる中、蝋燭のような揺れる炎で一部が照らされて、そこだけが見えている状態だったというわけですよね。
 なるほど、これなら見えてる範囲にだけ集中できるし、金の効果もその場面が輝いて見えるおぜん立てということになります。
 今の明るい照明に照らされて(それでも日常空間より美術館の照度は落とされているケースが多いのですが)、作品全体が見回せていたのではないわけです。
 全部見えちゃっている(≒見え過ぎている)状態で味わうのとは、違う環境で当時の人はこの作品を「観ていた」ことに気づき、これまでのイメージが大きく変わりました。

で、もう一つの《ダ・ヴィンチ没後500年「夢の実現」展》でも、真逆の方向から同じく見え過ぎの状態に気づいたわけですが…。
 また思いついた時に書くようにしますね。何せ、書き過ぎになるといけないので(笑)

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