「関ヶ原の戦い一番の功労者は調略担当の黒田長政です」功労者へのご褒美は筑前国(現在の福岡県)52万石でした。黒田長政は秀吉が一番恐れた戦国屈指の軍師、黒田官兵衛の嫡男です。黒田長政は関が原の戦いの勝利を決定づける調略を行っています。小早川秀秋と吉川広家の東軍への寝返り工作です。
慶長4年(1599)3月4日は石田三成が加藤清正ら豊臣七将の襲撃計画により伏見城へ逃れた日。抑え役の前田利家が前日死去し起きた事件で家康が仲裁した。襲撃でなく七将が家康に三成の制裁を訴えた騒動だった説も。何にしても内輪で争っていたら利用しようとする者に隙を与えてしまうわけですね。