霧の中の関ヶ原 その3(全4回)
一方、豊臣(とよとみ)軍の石田三成(いしだみつなり)の方でも同じように家康と戦いがしたかった。秀吉に忠実に仕えてきた三成はね、家康が力を持ち始めてきているのを心配していたんだ。そうさ、そのうちに家康は秀頼さまを討ちにくるだろうと思っていたのさ。たったの8歳だものね。だから、まだ秀吉にお世話になって恩を感じている武将たちと一緒に家康をやっつけてしまいたかったんだ。時間がたてばたつほど、恩も忘れられてしまうからね。そうしていたら、ちょうど良く家康は景勝(かげかつ)を討ちにお城を空けていったから、よいチャンスだったんだ。家康と三成との戦いたい気持ちがちょうどよくあったんだね。
日本じゅうの武将たちは、家来たちを引き連れて、この関ヶ原へと集まってきていたんだよ。ものすごい人の数だよ。関ヶ原に着く手前のお城や小山(こやま)でも西軍と東軍がぶつかりあって、戦いはあちこちで始まっていったんだ。メインの戦い場所は関ヶ原の広っぱだったよ。
9月15日の朝の3時頃、家康の出陣命令が出されたよ。福島正紀(ふくしままさのり)隊、黒田長政(くろだながまさ)隊、加藤嘉明(かとうよしあき)隊、藤堂高虎(とうどうたかとら)隊、松平忠吉(まつだいらただよし)隊が続いて最後が家康隊だったよ。他の道からもたくさん集まってきていたよ。
西軍も集まってきていた。朝4時ころ、薩摩(さつま)の島津義弘(しまずよしひろ)隊は、1500人と一緒に石田三成隊の南側に陣取ったよ。小西行長(こにしゆきなが)隊も毛利秀元(もうりひでもと)隊も吉川広家(きっかわひろいえ)隊もいた。
今日はここまで。
明日はいよいよ、合戦の始まりだよ。
ここまで読んでくれてありがとう。
お休み、ポン!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?