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「播磨灘物語」を読んでのボクの妄想

関ヶ原の合戦において、以前からボクは黒田長政の行動に対して疑問をもっている。あまりにも家康に肩入れしすぎるように思うのだ。それは司馬リョー先生も指摘している。

「かれは秀吉という存在に、好意も感傷も持っていなかったように思える。むしろ悪意をもっていたのではないか。」

播磨灘物語 3巻

ただ残念ながらここでは、なぜ悪意をもっていたと感じたのかの言及はない。

そして「播磨灘物語 4巻」で司馬リョー先生は、

「長政という、およそ非策士的な男にこれをさせたのは、如水である」

播磨灘物語 4巻

そう!ボクもこれには激しく同意なのだ。如水にとっての長政はたったひとりの息子であり、そして黒田家の嫡男なのだ。繋がっているほうが自然ではないか。

ところがつぎに司馬リョー先生は、

「如水は知らぬ顔でいた。(中略)長政の将来のためにそのように図ってやったが、おれはおれだというところがあったのだろう」

播磨灘物語 4巻

と述べているのだ。いやいや、司馬リョー先生!そこは違うとボクは思うのですよ!どうやら司馬リョー先生は、長政は長政、それとは別に如水は如水で天下を狙ったというストーリーを描いたようだ。

以前ボクは、「もし関ヶ原の合戦が長引いていたら」という妄想を、ボクなりに考えたことがある。妄想はぐんぐん膨らみ、ついには西軍(豊臣秀頼)が勝利し、東軍(徳川家康)は敗北するという、これまでの歴史がひっくり返ってしまうストーリーができあがった(なお、石田三成ひきいる第一次西軍は敗北)。その妄想の発端が、この長政のうしろで糸を引く人物。そう!黒田如水の存在だ。

ボクのストーリーの最終形は、あくまで秀頼を担いだ豊臣政権の維持だ。如水は豊臣政権の維持にむけて、長政とともに動いたとボクはみている。さらにそこには加藤清正や福島正則といった秀吉子飼いの家臣らも絡んでいるのだ。ボクには、かの小山評定においての福島正則の行動にも不自然さを感じるのだ。

ともあれ、「もし関ヶ原の合戦が長引いていたら」に対してのボクの描いたストーリーを、ボク自身がもっと自信をもって人に話せるようになったら、いつしかここに記してみたいと思う。(だれも興味はないと思うが…💦)それまでもっと歴史に対して見識をひろげ、熟考したい。「歴史にifはない」というが、ボク個人的には、歴史はifを想像(妄想)することこそが一番楽しいと思うのだ。

歴史って実におもしろい!

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