後藤又兵衛と伊予長泉寺
砥部焼で有名な砥部町との境界近くの伊予市丘陵地に、長泉寺という小さなお寺があります。実は、このお寺は彼の戦国武将後藤又兵衛の首塚を祀るお寺なのです。
伊予市は、「後藤又兵衛基次公菩提所」として、昭和63年11月29日に市の指定文化財に指定しています。寺の門前に伊予市教育委員会が設置ている説明板にはこのようにあります。
住職曰、首塚のあった民家では代々、後藤又兵衛の命日には「後藤さんの日」としてぼたもちを作ってお祀りしていたそうです。また、寺に移設されてからは、「後藤祭」として、近隣の人たちが集まり餅まきなどをしてお祀りしているとのことです。
今年は、後藤又兵衛の出生地の兵庫県姫路市山田町で、後藤又兵衛の功績を紹介する「後藤又兵衛顕彰会」のメンバー5人が寺を訪れ、桜の苗木を植樹し、その様子は愛媛新聞にも取り上げられました。
この桜は、又兵衛が落ち延びたとの伝承が残る奈良県の屋敷跡にある樹齢三百年超えのしだれ桜から、顕彰会のメンバーが種を譲り受け苗木に育てたとのことです。
わたしがこの寺の存在を知ったのは、生涯学習センターのデーターベース『えひめの記憶』の下記記事を見つけたことからです。
ここでは後藤又兵衛は生き延びて、長泉寺でその生涯を終えたことになっています。また「松前城主加藤嘉明公」となっていますが、大坂夏の陣(1615年)には、すでに勝山城(現在の松山城)は完成しており、転居していることから後世の創作と思われます。
ただ又兵衛は、主君黒田長政との確執から謀反を疑われ出奔した後、奉公が禁ぜられる「奉公構」という罰が与えられ、長い流浪生活を送っています。仮に岩屋寺のくだりは、又兵衛がこの放浪期に伯父の寺に立ち寄った際の話だとすれば、それもありかなと思います。
子供の頃から岩屋寺に思い出のある私としては、後藤又兵衛にほんの少し近づけたようで、そうに違いないと思い念い筆を執ったしだいです。