人の器を見たときに、器が大きい人は、 自分を大きくみせようとも小さくみせようともしないもの。 その場にいて自身も楽しみながら、 まわりの人や状況に最善のあり方を実践しようとしている場合が多い。 与えすぎず受け取りすぎず、ありのままある人を見るにつけ、そうありたいと私も思う。
ここ2週間くらい作業をしてきた在庫増加の原因追求がただ単に入力ミスだったことが判明した。苦労したことを憂うか、それとも原因がわかったことを喜ぶか、どちらを選ぶかで人の器の大きさがわかる。
演奏の最中 観客の携帯が鳴る 演奏者は嫌な顔もできる ただ その呼び出し音を 即興耳コピ演奏し 「大丈夫」 のメッセージを 伝える奏者もいる この差は 【観客の顔が見えているか?】 の技術差 周りが見えているか? つまり 「器の差」から 自ずと生まれる 差なのである