真夜中 世の中 世迷言 上から読んでも 下から読んでも 世の中バカなのよ
恣意ではなく「自由意志」を対象として見いだすこと、即ち「物件(Sache))」に「合目的性」を付与する活動(合目的的活動)が「労働」である。 「自由」即ち目的(Zweck)の展開、或いは、「人格(Persönlichkeit)、自由意志の定在化」が私有(Eigenzum)である
いわゆる「科学技術」の発展により、人々が単なる消費ではなく、なにかを生み出すために行ってきた(比喩的な意味での)"生産的消費"は、不要になり、消費的消費にいそしむことが「人類」に残された営為となってきた。しかし、"私たち"はこれから、何を消費するかを積極的に生産しなくてはいけない
(仮)自由研究 恐らく、ここで言われている"自由研究"とは、「自由」に題材を「選んで」行う研究(という名の学習課程)ではなく、"自由"(という概念について、また、もしそれが"実現する"という語の目的語たりうるならその実現の可否についてを"自由に")"研究する"営み、プロセスである
把'捉'する〔auffassen〕と表現する〔ausdrücken〕の表裏一体性 概念(的)把'握'〔Begreifen〕と体系(的)叙述〔Darstellung〕の双対性 (duality) "把捉と表現"と"概念(的)把握と体系(的)叙述"における関係と区別の関係
「実るほど 頭が下がる 稲穂かな」いい言葉だ。 今の所、実ってもねぇのに勃起の角度だけ下がってきた。
「ポジティブ」と「自己肯定感」と自己肯定をはきちがえるな 自己肯定なくして(そんなものがあればだが)自己の判断と選択的行為はありえない
葛藤 (少なくとも私にとっての)困難の多くは、さまざまな葛藤の上に生じている 様々な事柄に引っ張られて進み、その軌跡が勝手に「らしさ」とされる これまで軸、基盤となる関心事により、ある程度一定の方向を向いていたが、今は拮抗する強さで相反す引き合いの上、右往左往、停滞している