「らしさ」って何だろう。

最近「らしさ」という言葉があまり好きではなくなりました。

一部の人が私が好きなアイドルグループにその「らしさ」を求めている声を多く見かけたからでしょうか。
そしてそういう声は概して自分勝手なものであり、自身の求める理想やエゴを推している対象に勝手に投影しているだけ、そのような印象を受けます。

「らしさ」を決めるのは誰なんでしょうか?
ファンでしょうか?
当の本人でしょうか?

結局のところ、私が思うに「らしさ」とは推している側にとってとても都合のいい言葉だと思います。

自分の理想を持つのは勝手です。
ただ、その理想を推している相手に押しつけるのは如何なものでしょうか。
勝手に自分の理想・エゴを押しつけて、それに反するような行動・色を出していけば、勝手に幻滅し「らしさが失われた」と嘆く。
私にはどうしてもこのように映ってしまうのです。

私は美空ひばりが大好きなのですが、
美空ひばりも、この「らしさ」の押しつけによって、これから無限に広がっていたであろう可能性の芽を潰された犠牲者の一人だと、そう考えています。



美空ひばりは、無限の可能性を抱えていた。

美空ひばりと聞いて、皆さんは何が浮かぶでしょうか。
「昭和の歌姫」「歌謡界の女王」「永遠の歌姫」、色々な肩書きがあります。
ですが、大多数の人にとって、美空ひばりと聞いて一番最初に浮かぶのは、やはり「演歌の人」ではないでしょうか。

美空ひばりは和服が似合う人でもあった。

ですが私は「美空ひばり=演歌」という安易なイメージ像があまり好きではありません。
美空ひばりを「演歌」という一つの狭いジャンルに閉じ込めてほしくないと思ってしまいます。

ですが、この安易なカテゴライズ化は今に始まったことではありません。
このような現象は、彼女の生前からすでに始まっていたのです。



1981年に二人三脚で歩いてきたお母さんを亡くしてから1989年に没するまで、ひばりは色々なことにチャレンジしていきました。
ジャズ、オペラ、ポップスなど、さまざまなジャンルに挑戦し、ひばり独自の解釈を加えて表現されていました。

1982年にはジャズやオールディーズなどの洋楽を中心としたリサイタルを開催したことも。

1983年には、日本ポップス界の巨匠・来生たかおによる楽曲提供が実現。
来生たかおが兼ねてからひばりに楽曲提供をしたかったということもあり、夢のコラボとなりましたが、残念ながらヒットはせず。

そして、来生たかおとお姉さんで作詞家の来生えつこの二人がひばりの邸宅に招かれたときのこと。
かねてからひばりの才能を高く評価していた来生たかおは、この機会にと「これからももっとジャズや洋楽などのジャンルに挑戦してほしい」とひばりに伝えたところ、ひばり本人からこんな返答が帰ってきたそうです。

私も色々挑戦してみたいのは山々なんだけど、どうも私のファンの方が求めているものと合わないみたい。
私がたまにコンサートとかで英語の歌を歌っても、ほとんどのお客さんがポカンとした顔で私を見てるの。

この話を聞いて、私は残念な気持ちになりました。
せっかく七色の歌声を持つ人が、歌謡曲・懐メロ・演歌・民謡・都々逸・端唄・ジャズ・洋楽など様々なジャンルの歌を歌いこなす美空ひばりが、その持ち味を存分に発揮できていないと。

アーティストが本当に歌いたいものと、ファンがそのアーティストに求めているもの(ニーズ)は合わないという事例はよくありますが、美空ひばりもその狭間で悩んでいたようです。
ですが、ひばりはとてもファンや観客を大事にする人だったので、そういう人たちの期待を裏切ることもできなかったのでしょう。

そういう意味では、美空ひばりも「美空ひばりらしさ」を求められすぎたが故に、そのポテンシャルを存分に発揮することができなかったと言えると思います。

それに、ひばりのデビュー当時ヒット曲(「悲しき口笛」「東京キッド」「私は街の子」「あの丘越えて」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「港町十三番地」等)を聴いてみても、演歌らしさはこれっぽっちもありません。
どちらかと言えば「流行歌」のジャンルに入る曲ばかりです。
そもそも、美空ひばりが演歌を歌い出したのも1960年代と、成熟期に入ってから。
演歌は、美空ひばりのジャンルの一つに過ぎなかったのです。
ですが、そのジャンルのイメージだけが一人歩きし、それがいつの間にか「らしさ」として定着してしまった、私はこう思うのです。




話がだいぶ美空ひばり寄りになってしまいましたが、
私が言いたいのは「『らしさ』を抱くのは勝手ではあるが、それを押しつけてポテンシャルを潰すような真似はしてほしくない」ということです。

グループへの愛が強いのもわかります。
私もグループを応援し出してから歴は浅い方です。
「そんな新参者が何を言ってんだ」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
あくまで、私個人の見方ですから。

でも私は「楽曲のイメージでそのグループ(アーティスト)の『らしさ』を決めてほしくはないな」と思います。

ある意味、「らしさ」は伝統に似ていると思います。
伝統はなぜ伝統なのか、それはその伝統の核の部分、一番守りたい大切なものの精神を守りつつ、時代に合わせてそのあり方を変えてきたからこそ、伝統として長く続いているのです。
伝統を外側だけでしかとらえず、「伝統だから守らなければいけない」の一点張りで意固地に守っても、それは伝統ではなく、ただの「因習」です。

グループの「らしさ」はその所属するメンバーが一番よく理解していると思います。
そして、その「らしさ」=核の部分は現役メンバーが大切に守りながら、次世代に受け継がれていくことでしょう。
装いが変わっても、違うジャンルの歌に挑戦しても、大事な核の部分が守られ続ける限り、そのグループは「らしさ」を失うことはない、そう、私は信じています。

以上、私の世迷言でした。
やっぱ、美空ひばりも乃木坂46も、いいよね。


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