どこまでが自分?

爪を切るのが好きだ。
自分だったものが自分でなくなる瞬間だから。
爪切り、おもしろすぎる。

しかし、ほんとうに、切られた爪は自分ではなくなるのか?
受精卵が父とも母とも違う1個体だとしたら、その1個前の卵や精子は誰なんだ?

逆に、爪はそもそも自分だったのか?

ミトコンドリアは自分と言っていいのか?


少しスケールを大きくする。
以前パラリンピックを見て思ったのだが、義手や義足って自分なのだろうか。

車を運転しているとき、人間の身体感覚は車サイズまで拡張されている気がする。
脳 → 腕 → ハンドル → ステアリング
信号や情報の伝わり方が違うだけで、
そもそもの手足も、素材が生っぽいだけで、神経の信号で動く「仕組み」に過ぎない。
逆に、義足や義手、その他装置も、命令の伝え方や素材が違うだけの自分と言っていいんじゃないか。
そう考えると、人間の自分の範囲は驚くほど広くなりうる。


別の話だと、食べ物はいつから自分か。というのも気になる。
食べ物は消化されてやがて自分になる。
胃で自分になるのか? 腸で自分になるのか? タンパク質合成ではじめて自分になるのか?

……じつは、これについてはひとつ持論がある。
物質としていつから自分かはわからないが、気持ちの上では、「自分の皿に盛られた瞬間」から食べ物は自分なんじゃないかと思っている。
なんでと言われると困るが、感覚的にそんな気がしている。

自分をどこまで拡張できるか、は、物語としても面白い。
人間の脳はどこまで拡張して物を扱えるのか……?
パシフィック・リムでは、巨大人型ロボットを脳で動かすのは、一人の脳では無理とされていた。
一方で、第6の指(小指側にもう一本義親指)を装着したところ、多くの人で作業効率が上がった、といったニュースも見たことがある。
第3の腕、第3の脚……最終的には、第2の全身を、脳の信号をブルートゥースなんかに変換して操作する日も来るかもしれない。

これはなんて言うんだ? メタ・メタバース?

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