- 運営しているクリエイター
記事一覧
母から監督へ。スパイスは人生を味わい深くするよね。
前回のとこちょ。の回では9年間という長い時間をかけた撮影が終わり、いよいよそれを映画にするというステップに進もうとした直後に、ど〜んとあらわれた大きな壁(その時はそう感じるものです)について書かれていました。
その出来事を私は、スパイシーな出来事と受け取っていました。
とこちょ。もちろん覚えていますよ。とこちょ。が抱えていた、あの時の不安、焦りの感情、全部覚えています。
映画を作るってとても大変
ぼくゼロの母は活動家じゃないんですよ
監督と母の往復書簡。
ぼくゼロの監督「とこちょ。」と主人公の母「くみちょ。」が9年間の撮影を振り返って、お互いの視点から当時のことを語ります。
先週に引き続き、今回もくみちょ。回でお届けします。
ちなみに「くみちょ。」の「。」はゼロです(笑)
誤解されている人も多いので、今日は活動家ではありませんよのお話し。
空雅が顔出し、名前出しで取材に応じ、テレビ、雑誌、新聞に取り上げられる時、母として私
母から監督へ。その14(我が子の胸オペ)
ここ数回は、とこちょ。とくみちょ。の生い立ちや美由起と美由紀とみゆきと美幸についてと続き、先週はとこちょ。からくみちょ。への質問にお答えしました。
さて、今週はまたぼくゼロ完成までのあれこれに戻ります。
前回は、自宅ロケのお話しをしました。
主人公の胸オペ前日の自宅ロケで、映画のタイトルにもなった「ゼロ」という言葉が主人公の口から出たんです。
『自分は今、マイナスにいるからプラスに行くにはまずゼ
往復書簡)監督から母へ聞いてみたいこと
これまで6回にわたって、ぼくゼロ母「くみちょ。」の生い立ちについて書いていただきました。私(監督、とこちょ。)は、一気に読めなくて、ときどき深呼吸しながら文字を追いました。あまりに私の生きてきた道と異なるので、想像力や理解の範疇を超えているところもたくさんありました。
そこで今回は趣向を変えて、私からいくつかくみちょ。に質問をしたいと思います。きっとみなさまにとっても、くみちょ。の生き様と、それが
監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸その2
映画「ぼくゼロ」を観てくださった方からよく、「一番大変だったことは何ですか?」という質問をいただきます。その答えには4人のミユキが大きく関わっています。
2012年、小林空雅さんとその母、美由起さんを撮影中に、ふと芽生えた映画化への夢。でもそれは「自分の無能さとの対峙」の始まりでもありました。ひとりじゃ何もできないと思っていました。私には映画を監督するだけの能力があるとは全く思えなかったからです
監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸。
前回、くみちょ。が、「生きてきた道のりが私の世界とは全く異なることを知った」と書いてくれましたが、こんなに異なる生い立ちをもつ2人の「ミユキ」が出会って、いまは同じ目的のもとに共に向かっていること、本当に不思議です。
美由起と美由紀とみゆきと美幸。『ぼくゼロ』はここから始まりました。今日は「ミユキ」のお話をさせてください。
美幸こと私が性別のことに疑問をもったのが2010年。当時、性別に違和感
母から監督へ その11(命がけの覚悟)
これまで幼少期から結婚、出産までをお伝えしました。
かなりハードな人生でしたが、今回は命がけの覚悟を決めたお話しです。
ぼくゼロの母は、なぜ子供からのカミングアウトに動じなかったのか?
主人公の母くみちょ。の謎に迫る生い立ち編。
相変わらず機嫌のいい時と、悪い時の差が激しい父。
5番目の母は断酒会に参加したり治療も続けていましたが一進一退の状態でした。
細々としたことを書いていくとキリがないの
母から監督へ その11(孫ができても変わらぬ父)
ぼくゼロ書籍化を目指して、とこちょ。とリレー形式で続けている「監督と母の往復書簡」。
今は、お互いの生い立ちについてを書いています。
前回のとこちょ。の回では、とこちょ。が国際結婚をされた理由も解明されたし、生きて来た道のりが私の世界とは全く異なる事を知りました。
ぼくゼロの母は、なぜ子供からのカミングアウトに動じなかったのか?
幼少期から25才まで実母から5番目の母までの事を書いて来ました。
イギリスに導かれた人生 My Dear UK
前回、辛かった中学校時代を支えてくれたのは、イギリスの音楽だったことを書きました。私が高校に入った80年代初頭のミュージックシーンは「第2次ブリティッシュ・インベイジョン」と呼ばれていて、イギリス勢がアメリカのヒットチャートの上位を独占していた時代。私はイギリスのビジュアル系ポップバンドの音楽を夢中で聴きまくっていました。特にミュージックビデオが大好きで、深夜に放送されていた洋楽ヒットチャートの番
もっとみる