往復書簡)監督から母へ聞いてみたいこと

これまで6回にわたって、ぼくゼロ母「くみちょ。」の生い立ちについて書いていただきました。私(監督、とこちょ。)は、一気に読めなくて、ときどき深呼吸しながら文字を追いました。あまりに私の生きてきた道と異なるので、想像力や理解の範疇を超えているところもたくさんありました。
そこで今回は趣向を変えて、私からいくつかくみちょ。に質問をしたいと思います。きっとみなさまにとっても、くみちょ。の生き様と、それがいまにどうつながっているのか、読み解く手助けになれば幸いです。

とこちょ。)くみちょの文章を呼んで、お父さまは随分と、自由奔放で感情表現のストレートな方なのかなという印象を持ちましたが、子供ごころに父親のことをどう思っていらっしゃいましたか?

くみちょ。)怖さを感じていました。優しい時と怖い時の差が激しく、人を怒鳴ったり、乱暴しているところも何度も見ていたので、恐怖心がありました。
周りの大人たちが、父のことを短気で喧嘩っ早くて、ゴロゴロしていることが多く「三年寝太郎」(日本の昔話の題名)と影で言ってました。
ただ、子供のころは怖かったけれど嫌いではなかったです。
優しくしてくれる事があったので100%恐怖心だけではなかったんです。優しくしてもらえるとどうしても甘えたくなるし優しさに縋りたくなるのかも。
子供にとって、親は絶対的な存在だと思うんですね。哺乳類は特に加護がないと生きていけない。親に見捨てられたらこの世に存在する事が難しいので本能的に愛そうとするのかもしれないし、愛を求めるのだと思います。虐待を受けている多くの子供は自分の親のことを決して悪く言わないし、引き離されても会いたがるそうですから。

とこちょ。)くみちょにとって、おばあさまとおじさまの存在は大きいのでは?と思いましたが、ご本人にとってはいかがですか?

くみちょ。)(父母からは)不思議なことに無償の愛をもらえなかったとか、愛されていなかったとは感じていないんですね。酷い扱いをされたことは確かなんですが、渦中にいる時は虐待されていた自覚がなかったので、愛されていないという感覚はなかったかもしれません。
おばあちゃんとおじちゃんからの優しさ、生き方、愛は私に大きな影響を与えてくれたと思います。それがあったから、真っ直ぐに生きられたんだと思います。
最初の質問と重なるのですが、やはり信頼できる大人の愛は必要です。
心理学者アドラーの言葉に『子供にとって家族は「世界そのものであり」親から愛されなければ生きていけない。その命懸けの戦略がそのまま性格の形成につながるのだ。』というものがあるのですが、親に限らず無償の愛をくれる大人がいることは人格形成にとても重要です。条件付けで愛を与える大人の元で育った子は、その条件を満たすことを基準に生きるようになります。

とこちょ。)映画のなかで、空雅さんにもなんども聞いている質問と同じですが、子供のころ、ご自分のことを好きでしたか?

くみちょ。)好きか?って考えたことはなかった気がします。子供のころって全て平等に愛せる気がします。周りの人の言葉によって、比較、優劣、差別とか生まれるのかもしれないですよね。
思春期になると、様々な言葉を受けてコンプレックスを感じたりして、自分の容姿に劣等感を持つことはありました。辛かったし悲しかったけれど、嫌いではなかったです。

とこちょ。)周りの人の言葉によって生まれるとしたら、周りにどんな大人がいるかはとても大切ですね。ところで、結婚するときや、子供を持つとき、不安はありませんでしたか?つまり、生まれ落ちた家族と同じようなことが起こるのではないかと言う不安など…。

くみちょ。)結婚して家庭円満なんでドラマの中のことだけだと思っていて、結婚そのものには全く興味がなかったんですが、暖かい家庭を持ちたいという憧れがどこかにあって、叶えられるのではないか?という希望を持って結婚しました。子供を持つことへの不安はありませんでした。

とこちょ。)いま振り返って、お父様のことはどう思いますか?

くみちょ。)自由に生きた人だなと思います。他人の顔色や機嫌ではなく、自分の思うがままに生きた人だと思います。本来、人はそれでいいのだろうなと。ただ、他者への暴力や暴言、相手を傷つける行為は許されるものではないです。
父の言動があまりにも、酷くて近所とのトラブルが続いた時は、さすがに精神的にも辛くなって、父と同じ血が流れている事が嫌で、自分の血液を全部抜いて、取り替えたいと思った事がありました。この血は途絶えさせた方がいいとさえ考えた事もあります。
そして、父は愛情表現がとても不器用だったのだろうなと思います。

とこちょ。)そしていま振り返って、そのような境遇に生まれたことをどう思いますか?

くみちょ。)不謹慎かもしれませんが、ラッキー!と思っています。こんなにもいろいろな体験をできたことで、学びや気付きがとても多くなりました。だからこそ、発達障害の上の子、そして、このみを葛藤や苦痛を感じる事なく、明るく育てる事ができたんだと思います。

とこちょ。)当時は辛かったことも多かったと思いますが、「これも学びや気づきだ」という意識があったからこそ強く生きられたのでしょうね。

くみちょ。)小学校5年生の頃、本当に辛くて、苦しかった時、大人の言動によって、子供が傷付くことや、萎縮してしまうこと、恐怖で支配されていると心はどんどん離れていくことを強く感じたんです。その時、「大人になってもこの事は、絶対に忘れちゃダメだ。いつか誰かに伝えなくちゃ」ってそう思うようになりました。
私の生い立ち母から監督へ その10(まっすぐ生きる事を決めた)でも書きましたが『大人の言葉で、子供がどんな思いをするのか。たくさんの大人たちはそれぞれ、言う事が違うし、私に望む事も違う、それはなぜ?いろいろな思いを、忘れないように、いつか誰かに伝えられるように心のネタ帳にせっせと書き込みました。』と。
セラピストになるとかは、全く考えていなかったのですが、伝えていこう、話そうと漠然と思って、心のネタ帳に書き残していたんです。
そして、それらの出来事は、私にとって貴重な財産になっています。たくさんのネタを持つ事ができ、引き出しも増え心理セラピスト、メンタルコーチとしてのリソースにもなりました。
今は、本当にそう思っています。

セラピストとしてのくみちょ。にご興味を持ってくださった方、こちらに動画がありますので、ぜひご覧くださいませ。

2020年にアップした動画です。



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