監督から母へ。美由起と美由紀とみゆきと美幸。

前回、くみちょ。が、「生きてきた道のりが私の世界とは全く異なることを知った」と書いてくれましたが、こんなに異なる生い立ちをもつ2人の「ミユキ」が出会って、いまは同じ目的のもとに共に向かっていること、本当に不思議です。

美由起と美由紀とみゆきと美幸。『ぼくゼロ』はここから始まりました。今日は「ミユキ」のお話をさせてください。

美幸こと私が性別のことに疑問をもったのが2010年。当時、性別に違和感をもつ中高生の問題がクローズアップされていました。私はNHKワールドのニュース番組でリポートを企画したいと思い、顔出しでインタビューに答えてくれる中高生探しを始めました。砂丘のダイアモンドを探すようなものかも。。。と覚悟していましたが、びっくりするくらいにあっという間に出会えてしまいました。それが当時15歳の小林空雅さんとそのお母様の美由起さんでした。こんなにすぐに出会えるなんて強いご縁があったのでしょうね。

その後何度目かの取材ののち、ニュース番組のリポートだけではもったいない、長尺の番組にしたいと思い出したのが2012年。そのとき15年ぶりに再会した友人の美由紀さんにふとその話をしたところ、意気投合し、美由紀さんがプロデューサーとして、私がディレクターとして一緒にドキュメンタリーを作ることになりました。

当時空雅さんはFtMでしたが、ドキュメンタリーとしてはMtFにも取材した方がより強いストーリーが描けるだろうと考えたふたりが次に出会ったのが八代みゆきさん。80歳で性別適合手術をして戸籍を変更するという、おそらく世界でも最高齢の方です。

こうして「ミユキ」だらけのプロジェクトが進んでいきました。なんでこんなに「ミユキ」ばかり集まったのか、考えれば考えるほど不思議ですが、もう奇跡としかいいようがありません。(そういえば、最初に取材した場所も、川崎にある御幸(みゆき)中学でした。)

さきほど性別違和を抱える中高生の出演者を探していて、びっくりするくらいあっという間に出会えたと言いました。『ぼくゼロ』の母、小林美由起さんとは、最初に会った時から「このお母さん、只者ではないな!」とは思っていましたが、それから数年後の美由起さんの変貌ぶりはすごかったです!

当時は川崎市の公団に住み、シングルマザーとして、空雅さんとそのお姉さんのふたりのお子さんを育て、パートでねじを数えるお仕事をなさっていました。「好きなこと」「やりたいこと」がこの宇宙より大きな美由起さん。手はねじを数えながら、頭のなかはその「好きなこと」「やりたいこと」を手に入れるための大きな設計図を描いていたそうです。

いまは、大好きなサザンオールスターズの聖地「茅ヶ崎」に住み、クールでアーティーな男性と再婚し、そして「セラピスト」「心の癒しすと」として大活躍の毎日。たくさんのクライアントさんのセッションを行い、茅ヶ崎のテレビにもレギュラー出演するまでになりました。

私がドキュメンタリー制作で躓くたび、行き詰るたび、素敵なメールで励まし続けてくださる美由起さん。しかも美由起さんの言葉は、美しく流れるような気高さがあり。。。まるで無料でセラピーを受けさせていただいているこの毎日に、ただただ感謝です。

八代みゆきさんは1925年(大正12年)生まれです。戦前の日本で性別への違和感をかかえて生きていくことは並大抵のことではなかったと思います。男の子として生きながら、呉服や頭飾りなどきらきらと美しいものが好きな自分をおかしいと思っていたそうです。

ぼくゼロのインタビューではこのようにおっしゃっています。

「戦前で、軍国時代でしょ、そんなことは男の子にとっては口にするだけで大変なこと。なるべく人には言わないようにと黙ってばかりいたものですから、学校の先生には覇気がないって言われたんです。覇気がないんじゃなくて、うっかりしゃべるとみんなにいじめられるし変な目で見られるからって、そんな状態だったんですよね。」

戦局が悪くなると、男性ですから、当然赤紙も届きました。女性の心をもちながら陸軍兵士として過ごす毎日はいかばかりでしたでしょう。

男性として大学の学長まで勤め上げられた八代さん。それでも80歳にして女性になるための手術をなさいました。世界で最高齢の性別変更だと言われています。「自分らしい性別で生きたい」という思いに、年齢は関係ないんですね。

そして夫婦として60年連れ添った奥様とは、女性同士になりますから一旦離婚をして、養子縁組をしていまでも「家族」として生活なさっています。「家族」っていろいろな形がありますね。『ぼくゼロ』では「家族の形」についても描いています。

そして美由紀さん。当時留学していたイギリスで出会いました。名前も一緒だけど、誕生日もたった10日違い。当然干支も星座も一緒。血液型も同じB型。前職もレコード会社で一緒。あまりの共通点の多さに意気投合したのです。(ちなみに見かけと性格は全く違います笑。すらっとしたミミさん、私はチビ。大きな瞳のミミさん、目もチビな私。丁寧で良識のあるミミさんに、私は雑で自由勝手。。。)

その後私は帰国することになり、しばらく連絡が途絶えていたのですが、2015年に偶然東京で再会。またまた意気投合し、一緒にドキュメンタリーを作ることになったのです。

久しぶりに日本に住んで、少し生きづらさを感じると言っていたミミさん。日本社会をもっとオープンにしたいとの思いがありました。ミミさんは『ぼくゼロ』制作の意義をこう説明しています。

「どんな人にも生きる価値があり、そのひとりひとりにより社会はできているのだから、異なる個性を受容できる社会が本来あるべき社会であると、私は思います。」

八代「みゆき」さんが、撮影中のミミさんと私の様子を八代さんが写真に撮ってらっしゃったことが判明。貴重な貴重な写真です。

ミミさんとロケ

ちなみに、初めて会った当時はおなかが大きかったミミさん。おなかにいた子はいま早稲田大学に通いながらシンガーソングライターを目指す素敵な女性に成長しています。手術のシーンの挿入歌を歌ってくれているのがその両角沙霧さんなんですよ。

次回は、予定を変更して、この4人のミユキがぶち当たった『ぼくゼロ」最大の危機、そしてその後ミユキの人生が交錯していくさまをお伝えします。

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