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神奈川のこと

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#昭和

【神奈川のこと82】Let's妙蓮寺!(横浜市港北区)

【神奈川のこと82】Let's妙蓮寺!(横浜市港北区)

五月晴れの憲法記念日。
多分恐らくmaybe、生まれて初めて東横線の妙蓮寺駅を降りた。
よって、これを書く。

この街は、父が幼少期から成人になるまでの約20年間を過ごした、いわば父にとっての故郷だ。

父は、太平洋戦争が始まるわずか数か月前の昭和16年(1941年)8月、東京は大森に生を受け、その後すぐ妙蓮寺に引っ越し、戦時中は叔母(私にとって祖母の妹)が修道女として生活していた函館のトラピスチ

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【神奈川のこと78】はじめての引っ越し(横浜市中区→鎌倉市津)

【神奈川のこと78】はじめての引っ越し(横浜市中区→鎌倉市津)

78回目なので、これを書く。

昭和53年(1978年)1月21日、初めての「引っ越し」を経験した。

正確には2回目だ。1回目は昭和46年(1971年)の暮れ、つまり1歳半の出来事であったから、記憶に無い。生まれた場所である鎌倉市二階堂から横浜市への引っ越しだった。

記憶にあるその「初めて」の引っ越しは、約6年間住んだ横浜市中区根岸旭台の根岸台ハイツから、鎌倉市津の一戸建てへと向かった。

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【神奈川のこと59】鶴田真由と一緒に通学した日々(小田急線/藤沢駅)

この連休は、喜びと悲しみが交錯した。

「悲喜こもごも」というのは、こういう場合に使うのか。

そして、この暑さも手伝って、少し疲れてしまった。

よって、これを書く。

昭和61年(1986年)、高校一年生の時。中学校の同級生、テツと一緒によく通学した。

朝、6時50分ごろ、地元のバス停「西ヶ谷」で藤沢駅行きの江ノ電バスに乗り込むと、その一つ手前の「津村」停留所から乗ってきたテツが、二人掛けの

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【神奈川のこと56】初めてのタクシー(横浜市中区)

今週は、久しぶりにタクシーに乗った。

ちょっと疲れていたので、オフィスから四ツ谷駅まで歩くのが億劫になり、「来月から節約する」と自らに言い訳をして、新橋駅まで利用した。タクシーを使うと、15分ぐらい通勤時間を短縮できるのだ。

「こんばんは~。新橋駅までお願いします。外堀通りをずっと行ってください。〇時〇〇分の電車に乗りたいんですけど、間に合いますかね~?」

とまあ、こなれたもんだ。

よって

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【神奈川のこと52】母とおば達の横浜大空襲(横浜市西区宮ヶ谷)

76年前、昭和20年(1945年)5月29日、米軍のB-29爆撃機約100機が横浜に飛来し、焼夷弾による無差別爆撃を行なった。死者数約8千から1万。その空の下、9歳の母と妹たち(つまり、おば達)はいた。

よって、これを書く。

夜更かしをするようになったのは、小学校5年生の終わりぐらいからだろうか。枕元のラジカセで深夜のラジオ番組を聴くようになったからだ。

ニッポン放送、塚たんくろうの「くるく

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【神奈川のこと49】やはり根岸には、牛がいた(横浜市磯子区)

先日、神奈川新聞を読んでいて「おっ、」と思わず膝を打った。

よって、これを書く。

昭和45年(1970年)鎌倉は二階堂で生まれた。翌年の暮、つまり昭和46年(1971年)に横浜市中区根岸旭台にある、根岸台ハイツに引っ越す。以降、昭和53年(1978年)1月中旬までの6年間を、この根岸の地で過ごした。

物心というのは、この間に付いた。

根岸台ハイツは、JR根岸駅で石油コンビナートを背にして立

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【神奈川のこと46】嗚呼、仮入部(鎌倉市/手広中学校)

仮入部の季節なので、これを書く。

昭和58年(1983年)4月、鎌倉市立手広中学校に入学。

バスケットボール部(以下、バスケ部)に仮入部した。

あれは確か西鎌倉小学校5年生の頃、校庭の一画に突如、バスケットボールコートが姿を現した。この出現により、これまでのドッジボールに取って代わって、一気にバスケットボールが盛んになった。以来、小学校を卒業するまで、来る日も来る日も、休み時間にはバスケット

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【神奈川のこと45】「いいクラスを作りなさい」とは何事ぞ(鎌倉市/手広中学校)

入学式の季節なので、これを書く。

入学式というのはあまり覚えていないもんだ。

高校や大学の入学式の記憶は、遠く彼方に消え失せた。

昭和51年(1976年)9月、センジョ(セント・ジョセフ・インターナショナルスクール)に入学した日は、同校の卒業生である父に連れられて教室に入ると、自分の机に筆記体で "William Kobayashi" と記されていた。そんなことをうっすらと覚えている。

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【神奈川のこと44】ボウリング場でカッコつかず(鎌倉市/湘南ボウル)

3月28日、隣町の湘南深沢にある鎌倉市唯一のボウリング場、「湘南ボウル」がその半世紀の歴史に幕を閉じた。よって、このことを書く。

あれは昭和61年(1986年)3月、鎌倉市立手広中学校の卒業間近だったと記憶している。

当時お付き合いしていた、れいちゃんと一緒に、湘南ボウルへ行った。

二人だけで行ったのか、それとも他に友達がいたのかは忘れた。

れいちゃんの自宅は湘南ボウルの徒歩圏内だったこと

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【神奈川のこと39】アリキック!(東神奈川 or 反町?/神奈川スケートリンク)

かつての「神奈川スケートリンク」が、老朽化に伴い建て替えられ、2015年より「横浜銀行アイスアリーナ」となった。

それは、JRに乗っていると、東神奈川駅を横浜駅方面に向かって過ぎた頃、右手に見えてくる。公園が隣接している。反町(たんまち)公園というらしい。

地図で見れば、JR東神奈川駅からも、東急東横線の反町駅からも同じぐらいの近さである。

私にとってあの建物は、「東神奈川」の象徴的な存在で

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【神奈川のこと38】初恋はラッタッタに乗って(鎌倉市手広⇔津)

先週書くつもりだったが、所用で書けず。

バレンタインデーなので、初恋の話を。

昭和53年(1978年)4月、横浜のセント・ジョセフ・インターナショナルスクールから、鎌倉市立西鎌倉小学校に転校。

クラスは2年4組。

朝、図工教室に転校生とそのお母さんたちが集められた。同じクラスとなる亀ちゃんも一緒だ。彼は確か、タイ王国からの帰国子女だった。

ひとしきり説明を受け、担任の伊藤幸子先生に連れら

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【神奈川のこと36】大人の階段、一段目(鎌倉市/西鎌倉小学校)

冷たい雨の日曜日。静かに家で過ごすと心に決め、これを書く。

あれは昭和55年(1980年)、西鎌倉小学校4年1組の時だ。

2時間目が終わると、「20分休み」がある。

雨天でもない限り、そして、「チェ―リング」が大流行した一時期を除けば、大概は校庭に出てドッジボールなどをして遊んだ。

ある日の20分休み、当時、学年で一番のやんちゃ坊主であったひろきと、何かのきっかけで、一触即発の緊張状態にな

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【神奈川のこと34】with コロナ(横浜市中区/根岸不動下)

世はコロナ禍。よってこれを書く。

物心ついた頃、家の車はトヨタのコロナだった。

グリーンのボディに2ドア、オートマチック。なかなかイカしていた。

そのコロナに乗って、色んな所に行ったな~。

まず、毎週日曜は山手教会から元町でしょ。それから、野毛山動物園にもよく行った。園内にはね、クジャクが放し飼いにされてて、時折あの鮮やかな羽を開いてるんだ。爬虫類館では、ワニがいつも口を開いたまま固まって

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【神奈川のこと26】日本の学校には行きたくない!(横浜市中区根岸旭台)

今日は、5年前に亡くなった母の誕生日なので、このことを書く。私が、母を最も困らせたであろう出来事の一つである。

昭和51年(1976年)9月に、父の母校である山手のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(センジョ)に入学した。

私は友達も出来て楽しく通っていたし、両親の教育方針で入ったわけだが、しばらくして、母はどうもその教育環境に疑問を持ったようだ。

父が通っていた1950年代と、私

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