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能登地震ボランティア報告
友人に声をかけてもらい、能登の輪島市へボランティアに行ってきた。2泊3日の短い期間だったが、やはり百聞は一見にしかず。初めて能登地震のことを「知った」ように感じた。
とにかく、「まだこんな状況なのか」というのが正直な感想だった。元旦に起こった地震からはや4ヶ月半が経つにも関わらず、市内の倒壊住宅がほぼそのままのような印象。
時間の経過とともに倒壊住宅がその近隣の住居をドミノ倒しのようになるよう
お賽銭とご利益の関係
僧侶をしていると、時々こんなことを聞かれる。
「病気が治るお寺ないですか?」
「運気を変える神社はどこですか?」
そう聞かれたとき僕は大概こう答えることにしている。「教えてもいいけど、お参りに行ったらお賽銭いくらいれる?お守り買うならいくらのを買う?」と。
すると大抵お賽銭なら300円程度、お守りなら1,000円程度だと答えてくる。
そこに答えがある。病気を300円で治そう。運気を1,000
朗読で、宮沢賢治の"息"を感じる
最近、宮沢賢治の作品の朗読が、ちょっとしたマイブームになっている。宮沢賢治といえば岩手を代表する人物であり、仏教に根差した世界観はからは私も大きな影響を受けている。
特に、震災以降の復興期には、すがるような気持ちで作品を読んでいた。
お寺でワークショップやイベントをする機会が時々あるのだが、その時に宮沢賢治の作品の朗読をしている。
特に農民芸術概論要項という作品は私たちが里山で、あるいはこの世
オンライン坐禅会ファイナルイベント
おはようございます。
いよいよ今夜がラスト。
約四年間続いたオンライン坐禅会。
もとはといえば、コロナの世の中になり
自分は何ができるんだろうと模索していたとき
「マインドフルネス」のオンライン開催に
参加したことがキッカケでした。
まだ数年前ですが、当時は坐禅会をオンラインで開催することに少なからず抵抗があり、
僧侶同士でもその功罪のうち罪に
バイアスがかかっていたように感じて
幸せな寺と、幸せな街
やっちゃ駄目なことがない場所
ウチのお寺は不登校児の居場所活動としてのフリースクールをしている。毎週火曜と木曜の2回。
フリースクールとはいえ、子どもたちが安心して過ごせ、自由に遊んでいられる場所というコンセプト。
不登校というと、ついつい「学習は?」「社会性は?」と心配が先走ってしまうけれど、まずは「安心して居ていい場所」が必要で、「安心して居ていい大人」も必要。
そして、「邪魔されずに遊べ
宗教はOSなのか、アプリか
わたしの街の宗教観
私が住む 岩手県の藤沢町 という人口9,000足らずの小さな町は、曹洞宗 臨済宗 真言宗 時宗 そして カトリックと、宗教宗派が複数存在する。
町民たちはそれを当然と思い、また驚くことに、宗派を超えて葬儀の際に本堂の貸し借りを行うことも以前は当たり前のようにあった。
OSとしての神道
前述のの通り、私は神社の清掃奉仕活動に定期的に参加している。お寺の住職である私が神社の清
森の寺小屋、はじめました。②/セルフインタビュー的振り返り
世の中何かと騷しいですが、僕たち森の寺小屋は、田舎であるというメリット(?)をしっかりと享受して、のびのび暮らしています。しみじみと、本当にありがたい。
今回は、セルフインタビューというカタチで、森の寺小屋とはなにか?を整理してみようと思います。
必要な人に、届きますように。
ー森の寺小屋ってどんな活動ですか?お寺を”基地”にして、森や畑、田んぼなどで誰もがのびのび過ごすことができる”場”です
フリースクールという名へのディレンマ
岩手はまだまだ寒く、春はまだかなぁとこぼしたくもなるのですが、時々はっとするほど美しい冬景色に出会うことがあります。今朝もそんな朝でした。
森の寺小屋の行先お陰さまで多額ではないが少額でもない助成金の交付に預かり、細々ではあるけれど活動は地に足がついてきた。今年はそろそろ少し声を張って「寺小屋においでよ!」と、言うことにしようと思っている。
コロナのためもあり、活動の内容上あまり大っぴらに告知