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お賽銭とご利益の関係

僧侶をしていると、時々こんなことを聞かれる。

「病気が治るお寺ないですか?」
「運気を変える神社はどこですか?」

そう聞かれたとき僕は大概こう答えることにしている。「教えてもいいけど、お参りに行ったらお賽銭いくらいれる?お守り買うならいくらのを買う?」と。
すると大抵お賽銭なら300円程度、お守りなら1,000円程度だと答えてくる。

そこに答えがある。病気を300円で治そう。運気を1,000円で変えようという話なのだ。それは生き方を変えようとするのではなく、お金で(小銭で)解決しようということなのだ。

そういう困った時に神頼みをして悪いわけじゃないと思うし、僧侶の私でさえそう思うことはある。しかし基本はやはりまずは「先祖の墓参り」をすべきだと思っている。

先日、アメリカに住む檀家さんがご挨拶に来られた。なんでも、自分が還暦を迎える節目にあたり、一度ご先祖様にご挨拶がしたかったそうだ。
彼の地での事業も成功し、アメリカ生活の長い方なのにとかんしんさせられた。

カニも生きている不思議。



私たちは、自分が今こうして生きているのがあたりまえだと思いがちだ。生きているのがどれだけ可能性が低く、どれだけ不思議なことなのか忘れがちだ。

先祖の墓参りは、少なくともそれを思い出させてくれる場所だ。自分の命が何世代も超えてつながってきた証拠が先祖なのだ。お墓参りをすることでそれを少しでも思い出すこと、生きている不思議さを思うことで「生きる」意味が変わると思う。

「生きる」ことをしっかり向き合ったうえで、病気に効くお寺や運気の上がる神社に行くのは結構だと思う。

かく言う私も、父の27回忌をしそびれていたので近々行い、お墓参りもしようと思っている。


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