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記憶の街へ

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50歳過ぎると、記憶の街から、出会った人たちが遊びに来ます。 彼らとの思い出話を書き留めてみました。
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記事一覧

【記憶の街へ#11】言葉で伝えられなくても伝わっている

【記憶の街へ#11】言葉で伝えられなくても伝わっている

(2501文字)
高校生1年生から2年生にかけて、週に3日くらい千代田区神保町にあったカウンターだけのカレー屋でバイトをしていた。
牛丼チェーン店などでよくある、店員が動くスペースをコの字で囲んだようなカウンター。客席は12〜15くらいだったと思う。
埼玉からわざわざ東京までバイトに通っていたのは、神保町の隣にある御茶ノ水の中古レコード店に寄るためだった。
手渡しだったバイト料が入るとディスクユニ

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【記憶の街へ#10】彼女の写真

【記憶の街へ#10】彼女の写真

(927文字)
先日、実家に帰った時に近所を少し散歩した。古い住宅街の中を歩いていると、カタカナのコの字に入って行く道があった。
そしてその道には見覚えがあった。

小学6年生の時、好きな女の子がいた。
彼女は確か、5年生の時に引っ越して来たはずだ。同じクラスになったことはなかったが、どういう訳か、廊下で会うと彼女が追いかけて来てボクが逃げるという関係になっていた。何がきっかけでそうなったのか、全

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【記憶の街へ#9】ボクにできることは何もなかった

【記憶の街へ#9】ボクにできることは何もなかった

(1921文字)

何年か前に、ハワイから帰国した妹と母と話していた時のこと。
「そういえばYさんどうしてるだろうね」
急に妹がそう言った。
Yというのはボクが初めて付き合った女性で、高校生の頃から21歳までの目まぐるしく環境が変わる時期を一緒に過ごした。
なぜ急にそんなことを言い出したのかと尋ねると、そこからさらに6〜7年くらい前に、帰国して母と駅前を歩いていた時に偶然会ったという。
将来は結婚

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【記憶の街へ#8】不思議な記憶のスイッチ

【記憶の街へ#8】不思議な記憶のスイッチ

子供の頃、小さな借家に住んでいた。
トタンの壁に瓦屋根、2軒が繋がった長屋で、部屋は6畳二間。
冷蔵庫と食器棚を置いたらすれ違えない狭い台所に、水洗じゃない和式トイレにガス釜の風呂。
サッシじゃない木枠の窓は、強い風が吹くとガタガタと音を立てた。

その敷地には10軒ほどの長屋があった。つまり20世帯が暮らしていて、ボクが小学生の頃までは、たくさんの子供たちで賑やかだった。
その親たちは皆、20代

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【記憶の街へ#7】卒業式、先生の告白

【記憶の街へ#7】卒業式、先生の告白

中学3年生の時の担任は、音楽のS先生だった。
よく通る太い声の40代くらいの男の先生で、スポーツ刈りに少し色のついたメガネという風貌は、ドラマの刑事か犯人かという印象だった。

S先生はその印象の通り怖い先生で、実際にはやらなかったものの、
「爪の下に安全ピンを刺すぞ」
などと脅し文句をいくつか持っていた。
今そんなことを言ったら問題にされるのではないだろうか。

高校受験が迫った1月だったと思う

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【記憶の街へ#6】亀はどこへ

【記憶の街へ#6】亀はどこへ

小学生の頃、借家に住んでいた。
6帖二間に3帖くらいの台所、それに風呂トイレ。
2軒がつながっていて、その建物が敷地内に10棟くらい並んでいる。
昔はよくあったタイプですね。
当時は家作(かさく)と呼ばれていた。
今でも母はそう言う。

我が家はここに10年ほど住んでいて、その間にいろいろな人たちが入れ替わり暮らしていた。
ボクが小学校4年生くらいの頃、後ろの家作に60歳くらいの男性が一人で住んで

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【記憶の街へ#5】母親の愛と祈り

【記憶の街へ#5】母親の愛と祈り

彼はゴーグルと呼ばれていた。
なぜそう呼ばれていたのかは覚えていない。
ボクの通っていた中学校には知的障害児の複式学級があり、ゴーグルはその教室の生徒だった。
人懐っこく、休み時間の廊下でボクたちの顔を見ると、手を振りながら駆け寄ってきた。
その度に「ゴーグルが来たぞ〜」などと言って笑いながら逃げてからかったりしていた。

ボクたちのクラスは、遠足などのイベントがあると、複式学級の生徒が一緒に行動

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【記憶の街へ#4】恋か憧れか

【記憶の街へ#4】恋か憧れか

お盆で帰省し、父が眠る墓を掃除していた。
ボクは上から下まで墓石を磨き、妻はすっかり枯れた花と汚れた水を捨て、新しい花を生ける。
高校生の娘は、ゆっくりと歩く母の手を引いてこちらに向かってきている。
我が家の墓は墓地の外れにあり、ボクの背丈より高いブロック塀の向こうには民家が並んでいる。
その民家から女性の声が聞こえた。
「ホラ!何やってんの?早く準備しなさい!」
そのちょっと揺れるような高く特徴

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【記憶の街へ#3 】H君の背中が揺れていた

【記憶の街へ#3 】H君の背中が揺れていた

幼稚園に入る頃から、中学3年生の終わり頃までの約10年間を、ボクたち家族は小さな借家で過ごした。
家族全員が布団を並べた六畳間。三畳の居間はテレビと炬燵。家族4人が座ると残る空間はほとんど無かった。
居間と台所をつなぐようにニ畳という中途半端な部屋があり、そこにボクと妹の勉強机が並んでいた。
外装は青く塗られたトタンで、すりガラスが嵌め込まれた木の窓枠はサッシではなく、強い風が吹くとガタガタと鳴っ

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【記憶の街へ#2】17歳、スピリチュアルな夏の夜

【記憶の街へ#2】17歳、スピリチュアルな夏の夜

高校生2年の夏休み、ボクはトラックの助手という短期アルバイトをしていた。
助手と言っても、荷下ろしの手伝い。
名産地から西瓜を満載してきたトラックの助手席に乗り込み、築地や所沢などにある青果市場で下す。
西瓜は割れやすいので手作業になる。
大きな西瓜がふたつ入った重い箱を、ひたすらトラックから下し、指定されたパレットの上に積んでいく。
シートが取り払われ、11トントラックの荷台に現れる西瓜の箱の山

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【記憶の街へ #1】Kの後ろ姿

【記憶の街へ #1】Kの後ろ姿

ボクが中学生の頃は、まだ女子のセーラー服のスカートは長かった。
Kは二歳上の三年生。ボクは一年生だった。
Kはくるぶしが被るくらいの長さのスカートをはいていた。
いつもそのスカートのポケットに手を突っ込み、ぺったんこの学生鞄を抱えていた。
お世辞にも美人とは言えず、体型もずんぐりしていたように思う。

彼女とはどこで知り合ったのかは全く覚えていない。
しかしなぜか、歳も性別も違うボクたちは、学校か

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