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人生最高のメンター「弥勒菩薩」との出会い アルカイック・スマイルの魅力とは

「こんなにも穏やかな気持ちになれたのは初めてかも…」

先日、GW中にサイクリングで大阪-京都を往復100km走りました。アクティビティとしては「ロードバイクに乗る」ですが、目的は別にあります。

それは「弥勒菩薩(みろくぼさつ)に会いに行く」こと。

noteにも先日、その時のことを書きました。140文字では書ききれなかったので、改めてその魅力を整理したいと思います。

弥勒菩薩とは

菩薩像自体は写真で過去何度か見たことがあり、その存在は知っていました。その「表情が素晴らしい」という話を改めて耳にし、一度実物を見てみたいと思っていました。

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弥勒菩薩像は広隆寺に収蔵されています。境内にある霊宝殿には国宝や重要文化財に指定された仏像が数多く収蔵されています。その中の一つが弥勒菩薩像。

1951年に彫刻の部門で国宝の第1号に指定されたものです。正式には「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゅいぞう)」、通称『宝冠弥勒(ほうかんみろく)』とも言うそうです。秦氏が聖徳太子から譲り受けた仏像だそうです。

56億7千万年後の救世主を表現している?

弥勒菩薩は“釈迦の死後、56億7千万年後の世に降りてきて、釈迦に代わって人々を救う未来仏”と言われています。これは後から調べて知りましたが、とんでもない設定ですね…。

そんな途方も無い未来に人類が生きているのか、そもそも地球は今のままの形をなしているのか、想像もつきませんが、ひとまず弥勒菩薩はそんな未来に現れる救世主を表現した像だそう。

実物を観て、まず目をひいたのはその仏像の姿というか、姿勢ですね。台座に座り、右足を左足の太ももの上に乗せ、右手を軽くそっと頬に寄せている姿。これは56億7千万年後に現れた弥勒菩薩が「どうすれば人々を救済できるか」と、その方法を思案している様子を表現しているそうです。

なるほど、少しうつむき加減の姿勢はそのように見えますね。

ただ、私は正面からこの仏像と向き合い数分間無音の館内の中で感じたのは「頷いてくれている」という感じでした。対話し話を聞いてくれている。そんな気持ちになりました。

これはあくまで私の感想ですし、作られた方の意図とは違うかもしれません。でも、私にはそう感じることができました。

そして、後から知った「人々の救済を思案」ということは、私が向き合った時間は「私の救済」を思案してくれていたのかもしれません…。そう捉えると、とても有り難いことです…。

アルカイック・スマイル

弥勒菩薩といえばやはり最大の魅力はその微笑みですね。女性的とも思える華奢な体つきをしていますが、そのお顔には口元に優しい微笑みを携えています。

これはアルカイックスマイルとも言われていますね。もともと古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情なのでこのような呼ばれています。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っているのが特徴です。これは生命感と幸福感を演出するためのものと見られています。

弥勒菩薩は正に「生命感と幸福感」を感じる表情をされています。この表情は世界的にも絶賛されていますね。

この優しく穏やかな表情は、実際に目にすると吸い込まれるような感覚さえ覚えます。思わず我を忘れてしまうほどの魅力があります。偶然、館内には私一人でしたので、時間を忘れてただただ向き合って魅入ってしまいました。

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ちなみに、アルカイックスマイルは英語で「archaic smile」と書きます。「archaic」は古代ギリシア語の「古い」という意味の「arche」から派生した語だそうです。つまり日本語で表現するなら「古風なほほえみ」といったところでしょうか。

アルカイックスマイルの特徴は、全体的には無表情でありながら、わずかに口元の両端が上に上がり、微笑んでいるように見えるというミステリアスな微笑です。

この言葉は、赤ちゃんの自然な微笑や、モナ・リザの微笑みに対しても使われることがある言葉ですね。

心の中の波が穏やかになる

詩人で有名な相田みつさんが弥勒菩薩のことを詠んだ詩がいくつか残されているそうです。その中の一つがこれ。

「あなたの顔を見ていると こころの中の 波がしずまる」

本当にその通りです。館内には他にも多くの仏像が並べて配置されており、弥勒菩薩像はその中心に鎮座しています。他の仏像を鑑賞している時はいろんな事が気になっていたのですが、弥勒菩薩像の前に立った瞬間に雑念がシンと消えてなくなる感覚がありました。

私はそこまでではなかったですが、人によっては自然と涙が溢れ出てくる人もいるとか。それは良い意味で、見る人の心を映し出してくれているのだと思います。私は「肯定される」感覚、「共感」し、「背中を押される」感覚を感じました。その感情の度合いが高いと、場合によっては涙が出てしまうことも頷けます。

この弥勒菩薩像は、専門家の間では「仏像鑑賞第一課」と言われているそうです。それほど魅力的で、一度この仏像の魅力を知ってしまうと、他の仏像を鑑賞した後にまたこの仏像を観たくなり、帰ってくる人が多いそうです。

魅力菩薩

この仏像の評価としてドイツの精神科医であり、哲学者でもあるカール・ヤスパース氏はこんな言葉を残しているそうです。

「人間の存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の美の象徴。これは弥勒菩薩ではなく、魅力菩薩だ」

弥勒ではなく魅力というのは日本語の言葉遊びのように思いますが、言わんとしていることはよくわかります。

そして「最も円満」という言葉にとても納得します。円満という言葉は「夫婦円満」くらいしか普段使わない言葉ですが、人生も円満に満ち足りたものにしたいですね。そのためにはやはり「笑み」が必要なのだと思います。

人生のメンターは自由に持てる

私は今回、弥勒菩薩を実際にこの目で見たいと思った背景には、人生におけるちょっとした悩みがあったからです。友人などにも相談しその悩みには自分なりに答えを出しかけていました。

そんな時に出会った弥勒菩薩は、最後のひと押しを軽く背中を叩いてくれたように思います。

これまで、人生で悩んだとき、たくさんの方にお話を聞いてもらい、そのご縁を感じながら人生の舵取りをしてきました。そういう意味では人生にメンターは欠かせないと思っています。

そして今回は弥勒菩薩像も私のメンターになってくれたように思います。この感覚は、過去に屋久島の縄文杉を観た時にも似たような感覚を覚えました。こうした、神がかった何かと向き合った時、自分の中のものを飾らずに打ち明け、その上で自分の行く道を選ぶということができるのかもしれません。

そう考えると、メンターは「人」だけではないなと改めて気付かされました。

まとめ

今回は京都で出会った素敵な仏像、弥勒菩薩の魅力を綴りました。このGW、密を避けながらの毎日はなかなか刺激も少なかったのですが、この体験は私にとってキラリと光る魅力的な体験でした。

長い時間をかけても変わらない、廃れないものには、神がかった魅力が宿ります。そうしたものを鏡のように捉え、自分の内面を打ち明けるメンターとして向き合うこともできるのだと学びました。

生きていると誰しも多かれ少なかれ悩みはありますよね。そんな時は一人で悩まず、近くの人に相談するのも良いですし、時には人ではないメンターに相談するのも、より良く生きる一つの工夫かもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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