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いろんなテーマのコラム

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毎回いろんなテーマを据えてコラムにしています。
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2020年1月の記事一覧

"コンテンツ"という言葉が好きじゃない。創作物を尊敬するために必要なこと

"コンテンツ"という言葉が好きじゃない。創作物を尊敬するために必要なこと

「2019年は良質なコンテンツが豊作でしたね」

こんな表現を聞くたびに、胸がチクッと痛む。

コンテンツ。

わたしは"コンテンツ"という言葉が好きじゃない。対象を消費物として扱っているようで、水物、消え物として見ているようで、申し訳ないような寂しい気持ちになる。

日本語はつくづく不思議で、なぜだろう、カタカナには魂を感じない。音を表すだけの表音文字だからかもしれない。

同じものを指すにして

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1月29日(水)インターネットに載ってないお医者さん

1月29日(水)インターネットに載ってないお医者さん

病気で寝たきりになってみて分かったことは、「意外とお医者さんは家まで来てくれる(ただし寝たきりに限る)」ということだ。

自分一人でなんとかしようとインターネットでお医者さんを検索したり病院に電話をかけたり、タクシーの後部座席に寝転がって杖をついて這いつくばって病院を探し回っていた時は、ギリギリ一人で動けているだけに、「じゃあまだ動けるんじゃん」と判断されるのか、助けてもらえることがなかった。

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1月27日(月)言葉が分かれば10倍伝わる(お能とかオペラとか)

1月27日(月)言葉が分かれば10倍伝わる(お能とかオペラとか)

Eテレでお能の映像を放送していたので途中から見た。演目は「隅田川」。

隅田川の船に乗ってる一人の女(能面を付けている)。船頭と同船者の世間話をたまたま聞く。

「男の子が亡くなったそうだ」
「京都の白川から来た子だそうだ」
「(それ……私の息子……!!)」

と、又聞きに息子の逝去が発覚する気の毒な話だった。

その後、母親が船頭たちに打ち明け話をして、お焼香を上げに行くと、息子の幻覚が見える。

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1月26日(日)関東のお笑いに憧れる(海外のコメディにも憧れる)

1月26日(日)関東のお笑いに憧れる(海外のコメディにも憧れる)

人は自分にないものに憧れるようで、隣の芝生は青く見えるというか、輝いて見えるというか、寝心地良さそうに見えるというか、そんな感じで、関東のお笑いに対して、かっこいいよなー、オシャレやなー、いいなー、という感情を抱いている。

関東のお笑いに出会ったのは2017年のことで、それまでテレビを全く見ずに生きてきた私はそもそも「お笑い」というものの存在自体、認識していなかった。知らなかった。

ただ、笑い

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1月25日(土)自分のために書いて、自分のために生きる

文章を書く動機は人それぞれだとして、近頃の自分は「誰かのため」を想定しすぎていた。自分の言葉で誰かの心が軽くなったら本当に素敵なことだけど、じゃあ、自分は?自分の心は軽くなってる?というと、全然、なってなかった。

読まれるためのタイトルを、みんなが知りたい内容を、共感されそうなエピソードを、誰も知らない世界の話を、書いても書いても自分の心は軽くはならず、どんどん漬物石に押し潰されるみたいになって

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1月24日(金)病室にラブがあってもいい

1月24日(金)病室にラブがあってもいい

『恋はつづくよどこまでも』第2話を観た。上白石萌音さんが本当に演技が上手くて惹き込まれてしまう。

患者さんが亡くなって戸惑う視点の揺らぎ、目が、瞳が演じていて、佐倉七瀬という女の子が乗り移っているようだった。はしゃいでいる時の若々しさ、いてもたってもいられないじたばたとした身体の動き、くるくる変わる表情、不思議な顔立ち、全部がチャーミングでたまらない。

コメディエンヌに最も必要な要素はチャーミ

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1月23日(木)みんなが共感できるコンテンツは存在するのか?

1月23日(木)みんなが共感できるコンテンツは存在するのか?

「2019年はみんなが共感できるコンテンツが豊富だった」という言葉がずっと気になっている。ずーっとである。

年明けに見た、NHK総合『新春テレビ放談』での話で、テレビ東京の佐久間さんとか、おっさんズラブのプロデューサーの方とか、出席していた方々は概ね同意していたように見えた。『凪のお暇』とか、『わたし、定時で帰ります』とか、今の人たちはみんな疲れてるから、疲れを認めるようなコンテンツが多かったね

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病人にアドバイスをしない方がいい理由

病人にアドバイスをしない方がいい理由

病人をやっているとめんどくさいことが山ほどある。

まず大前提として、「病人」というライフワークは好きでやっていることではない。職業は、現代の日本社会においては、よほどの事情がない限り、個人の選択に基づいて就くことができるものだ。そこには好き嫌いといった本人の意思もある程度は介在する。

一方、病人職は、好き好んで就く人はまずいないだろうし、好き好んだとしても意思だけで病気になれるものではない。天

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