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在宅勤務を前提とした社会にしなければ日本や地方は弱っていくのでないか?

日本は在宅勤務を原則とした働き方にシフトした方が良い。もちろんホワイトカラーを中心とした話にはならざるを得ない。さりとて、昨今のAIの発展を踏まえるに、現在対面を前提としている仕事の多くも在宅勤務にシフトするのは難しくなくなっていくと思われる。


多くの仕事は在宅勤務で成立させられる

何せレジ担当者が海を隔てた国の人々に切り替えられ、リモートスタッフによって店舗運営が行われる時代である。今後場所にとらわれない雇用を前提とした事業運営が、ますます選択肢として出てくるに違いない。それはAIの関与があろうとなかろうとである。

たとえば飲食店も、確かに今の運営の在り方を前提とするのであれば、対面でなければ運営できない。しかし、飲食店が提供する価値を突き詰めて考えたとき、場所の提供と料理の提供が果たされれば、飲食店事業は成立する。

つまり、飲食店は居心地の良い場所と料理を提供する工場として考えれば、飲食店事業は非対面でも成立させられる。飲食店に限らず、多くの仕事は提供している価値とそれを成立するための方法を改めて考え、事業の在り方を再定義すれば、恐らく非対面化しても成立させられる。

固定概念に囚われる限り、『対面でなければ価値を提供できない』といった考えから抜け出せないと思われる。だが、固定概念の檻から抜け出しさえできれば、非対面によって成立していたと思われていた価値の多くが、人々の固定概念によって生み出されていただけの虚無だと分かってくるだろう。

『オフィスで働くことの価値』を再考する

『日本は在宅勤務を原則とした働き方にシフトした方が良い』

冒頭の話に戻る。冷静に考えれば、誰もが『オフィスで働くことにあまり価値はない』と分かる一方で、『なんとなくオフィスで働く方が良いのでないか』といった考えを持つのでなかろうか。

そして後者の言ってしまえば単なるお気持ちを元に下された経営判断の下、オフィスで仕事をする旧態依然の働き方に戻っている人々が多いと思われる。極々当たり前の話でしかないが、オフィスで仕事をすることは手段であり、それは目的にならない。

手段として価値を持つことはあっても、目的として価値を持つことはない。つまり、オフィスで仕事をすることそれ自体には、経営上の価値はほとんどなく、オフィスで仕事をしたことで生じる果実の良し悪しにこそ価値が生じる。

ところが現実には、なんとなくオフィスで働いた方が結束感が高まる、生産性が良さそうなどといったお気持ちで、オフィス回帰の流れが進んでいる。オフィス勤務と在宅勤務によって生じる生産性へのインパクトは、研究上は拮抗していると言って良い程に、多様な結果が出ているにもかかわらずだ。

本来は、明白に数値として効果を出した上で経営判断を行って然るべきだが、どうもそうした経営判断を行える経営者が少ないためか、なんとなくのお気持ちで意思決定をする傾向がある。パンデミック以前の時代への懐古主義もあるのかもしれない。

「オフィス回帰」がもたらしたものは「人々の大都市圏回帰」

しかしながら、そうした一部の人々のオフィス好きなお気持ちによって生まれつつある結果が、再度の地方からの人口流出、人々の大都市回帰である。オフィスは大都市にあるのだから当然の話でしかない。

住民基本台帳人口移動報告

パンデミックにおいて東京圏は一時的に転出が増加した。だが、パンデミックの収束に伴い転入は再度増加傾向を示している。とくに2023年4月の増加幅は大きい。ポストコロナへの移行が明確になった時期と重なる(※1)

※1:参照「ニッセイ基礎研究所 コロナ禍におけるオフィス出社動向-携帯位置情報データによるオフィス出社率の分析

もっとも4月という頃合いは、大学入学や新卒入社の時期である。そのため、ポストコロナへの移行が明確になる以前、変異株への対応をこなす中で固めた次年度以降の方針が適用された時期と考える方が適切かもしれない。

不思議なことに、世の中は『東京一極集中を是正しろ』と声高に叫ぶにもかかわらず、在宅勤務を増やせとは言わないのである。在宅勤務を原則とすることこそが、地方に住む人々を増やし、地方の経済を潤すのに恐らく最も手っ取り早い施策となるにもかかわらずだ。

同様に『満員電車を減らせ』と叫ぶ人々も『在宅勤務を原則にしろ』と言わないのである。パンデミックにおいて満員電車を減らした実績があるにもかかわらずだ。それほどまでに仕事=オフィスで働くという固定概念が根強いとも言える。

多くの人々が既に理解しているように、満員電車が生じるのは、東京都内においても一部の地域にオフィスが集中しており、どうしたところでその一帯に向かう人々が集中するためである。多くの人々が出勤する必要に苛まれなければ、満員電車をもたらす移動の集中は生じ難くなる。

オフィス回帰によって出社を命じる企業が増えたことで、東京圏から人を移動させた国・地方自治体も、満員電車に悩む東京都・東京近郊住まいの会社員も、誰もが不幸な結果を享受することとなった。オフィスで働くといった固定概念に囚われる経営者達のお気持ちが生み出した結果である。

人手不足と地方経済の課題

昨今、日本国内では人手不足が叫ばれている。だが、人手不足が生じているのは、一部の産業や一部の地域というのが実情である。顕著なのは建設業・運輸業でなかろうか。確かに東京都や一部の特殊事情が生じている地方を除けば、少なくない数の企業が倒産する程に仕事がない。人手不足どころか人余りの状況である。

また、東京圏においては建設業・運輸業に限らず、多くの業界において人手不足が生じ、採用活動は異常とも言えるほどに積極化され、賃金も上昇傾向にある。AIが人の仕事を奪うと叫ばれる昨今だが、結局のところ、それにも限界がある。何より、人間の持つ柔軟性をAIで完全に再現するのは、少なくとも現時点では難しい。

その一方で地方はどうだろうか。人手不足が生じていないわけではない。だが、賃金の上昇は見られない。企業はない袖を振れないためである。企業が賃金を出せず、住民は働いても豊かになれず、住民が豊かになれないため地域の経済が衰え、企業はますます賃金を出せなくなる。

更に賃金を求める住民は大都市圏へと去り、人口が減ることで地域の生活インフラの維持さえ難しくなり、住めない地域になっていく。そんな悪循環が地方の未来を暗くしている。東京都のような大都市圏と地方の格差の本質は、こうした”循環しているお金の量”の違いである。

地方創生が失敗した理由

地方創生と称して様々な取り組みが行われて10年近い月日が流れている一方で、地方は豊かになるどころか貧しくなっていくばかりになっている。結局のところそれは、循環するお金の量があまりにも少ないためである。この事実への認識が些か足りていない(もっとも国は分かっているだろうが)。

たとえば地方創生を謳い、地方での起業支援などが行われた。そうした支援を受けて飲食店や小売店、地域住民のためのサービスが生まれた。それ自体は素晴らしいことかもしれない。だが、それでは地方が豊かになることはない。地方の課題の本質は、”循環しているお金”が少ないからだ。

”循環しているお金”が少ない地方に、いくら新しい飲食店や小売店ができたところで、お金の取り合いにしかならない。つまり、低賃金で働く住民を顧客とした内需の事業がいくら増えたところで、地域内を循環しているわずかな資金を取り合うだけで地域を巡るお金が増えないのだ。

本来増えなければならないのは、地域外からお金を獲得し、地域内を巡るお金を増やす外需産業である。地域住民を相手にする事業ではない。だが、そうした外需産業を軌道に乗せるのは、現在の地方が保有している人材では中々どうして難しい。苛烈な競争を生き抜いてきた人材が乏しいためだ。

勝ち方を知っている人間がいない以前に、戦い方を知っている人間さえいないのである。勝負にならない状況で勝てる可能性は万に一つもない。それは自然の摂理だ。窮鼠が猫を咬めたとしても猫を打倒するのは厳しい。今の地方企業が大都市圏の企業と戦い、買っていくのは、現実的でない。

東京圏で成長している企業を買収し、東京圏の企業に東京圏で稼いでもらったお金を地域に巡らせる方が現実的だろう。それ以上に現実的なのが、在宅勤務である。地域に住んでいる人々が東京圏の企業で仕事をし、東京圏の企業からお金をもらって、地域で消費する。

あるいは、東京圏の企業で仕事をしている人々に、その仕事を続けたまま移住してもらう。これらが最も容易である。そして、これは企業の意思決定によって実現可能な程度の話であり、また国が法令を以て実現できるものでもある。

目的は異なるにせよ、昨年末に話題になった厚生労働省による「仕事と育児・介護の両立支援対策の充実について(案)」は、ある意味で在宅勤務が減少していく社会に対する牽制と取れる。何より、少子高齢化が進む日本において、介護離職の問題は深刻化していく可能性が高い。

介護離職により、多くの企業が事業運営に支障を来す状況に苛まれるくらいならば、在宅勤務を制度化させて、企業のレジリエンスを高める方が賢明である。在宅勤務を前提とすることは、何も地方を救うだけでなく、高齢化の影響を強く受ける東京圏の企業にとっても救いとなるのである。

結論: 日本の未来のために在宅勤務を推進する

日本の現状を考えれば、在宅勤務を前提とした社会づくりを行う方が、幸福になる人々は多く、また自治体や企業の持続可能性も高まる。いつパンデミックのような災禍に見舞われるかも分からない。大震災のような自然災害の問題もある。

日本という国全体の未来を真剣に考えるのであれば、我々は今一度在宅勤務の拡大を検討していく必要があるだろう。在宅勤務を前提とした社会は、高度にDX化された社会とも言え、社会全体の高度化を図る意味でも大きな価値を持つ。

日本の未来を考えればこそ、脱オフィスを日本全体で取り組む必要がある。「東京一極集中是正」よりも「オフィス勤務是正」である。それこそがより豊かな地方の実現をもたらすに違いない。


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