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自分が自分であるために

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私は自分を受け入れたい。主に自分のことを見つめる投稿です。
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記事一覧

ともみんで3年経ちました

ともみんで3年経ちました

明日、春分の日。
春分の日といえば、
宇宙元旦の日。

そしてこのnoteを始めた日。
3年前「ともみん」の名前でスタートした日。
早いような短いような…。

2020年3月の私。
会社員(ブラック的)で夜遅くまで残業で働きづくめ。家事一切も行い、ヘトヘトでした。

そんな中、レイキを学び、漠然と何かを始めたい。そう思って出会ったこのnoteでした。

※ちなみに「ともみん」は、noteを教えて下

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こんにちは。新しいわたし

こんにちは。新しいわたし

2022年もあっという間に終わりですね。
2022年は、どう私を私らしく表現していくかということをとても模索した一年でした。

note、Instagram、amebloしました。
思ったことをだいぶ書けるようになりました。

でも、どうしてもやらなければ自由にならない壁にあたりました。

私は人前で、自由に話せるようになりたい。

人前に立つと、心臓バクバク呼吸困難になって本当の自分が出せないこ

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青い空を見て思うこと

青い空を見て思うこと

ここ関東は、この季節、晴れていると空がとても青くて、空を見上げると、マスクなんて外して、思いっきり深呼吸したくなります。

吸い込まれそう。なんて美しいのでしょう。

ふと、私の幼少期の、青にまつわる思い出が蘇ってきました。

70年代始め。2〜4歳頃、私は青色のお気に入り具合が止まりませんでした。

色といえば、「青かそれ以外か」という感じでしょうか笑。そのくらい青しか目に入らなかったし、青以外

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甘えたいから甘えない作戦

甘えたいから甘えない作戦

子どもの表現って、ストレートだったり、時に信じられないくらい不器用だったりします。

気を引くため、
わざとダメなことしてみたり
ちょっかいを出してみたり…

そうそう。伝わりますか?

私の5〜6歳の頃の、とっても不器用な作戦を思い出したので、綴りたいと思います。

私は物心ついた時から、父や母に、抱っこをせがんだり、遊びをせがんだりした記憶がほとんどありません。
うちは共働きで、祖母から「お父

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3色で描いた最後のジャングル

3色で描いた最後のジャングル

80年代、私は中学3年生でした。

教科の中では美術が特に好きでした。
小学校の時も、図画工作の時間が一番好きでした。

体育の時間をもっと減らして、美術(図画工作)の時間が増えるといいのに…一週間にたった2時間しかないことをとても恨めしく思ったりしたものです。

美術の中でも、絵を描く時は特に好きでした。
なぜ好きなんだろう?と考えてみると、絵に集中して雑音が無い感じ。夢中になって時間を忘れる感

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わたしの中のようこちゃん

わたしの中のようこちゃん

80年代のわたしの小学校、中学校生活によく出てくる親友ようこちゃん。

ようこちゃんは、24歳で人生の幕を閉じました。

小学生高学年では帰り道が同じで、こっそり交換日記したり、畑の土で縄文式土器のまねごとをしたり、楽しい日々を過ごしました。
中学では偶然同じ軟式テニス部で、楽しいこと辛いこと色々経験しながら成長していきました。

中学3年生は同じクラスになり、ひとつ前の牛小屋の住人と恋愛小説でも

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ずっと忘れていたこと

ずっと忘れていたこと

私には小学校の先生を目指した時期がありました。
そもそも、なぜなりたいと思ったんだろう…なることを辞めて以来、それについて深く考えることもしなかった為、すっかり忘れていました。

でも、ひとつ前の「体育祭でランデブー」を思い出した際、あぁそうだったんだと思いました。私が学級会で黒板に皆んなの意見を書いて振り返った時の、あの景色。クラスが一体になって、楽しくて、みんな目がキラキラしてて、あったかい…

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これって強みなのかもしれない

これって強みなのかもしれない

私は、多分普通の人の想像をはるかに超えるくらいドジで抜けていて天然で不器用なんだと思います。
それは小さい頃から50年過ぎても変わりません。

昨日、天然石でブレスレットを作成するワークショップに参加しました。ただ天然石にテグスを通すだけなのに天然石を2度も飛び散らせるミラクルを起こしてしまいました。

そういえば、先日のお話会の時も、zoomのレコーディングボタンを押した瞬間に、ホストの私が消え

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心温まる教室での思い出

80年代、私は中学3年生でした。
クラスの係に、学級委員長、副学級委員長というのがあると思いますが、副学級委員長ってどのようなイメージでしょうか?
「静かにして下さーい」
「ちょっと、そこの男子聞いてるの?」
私の中では、活発で利発でビシッと注意できる女子というイメージでした。

7月の期末テストも終わり、2学期の係決めが行われようとしていました。その頃、ちょうど、ちょっとした「ドジで天然すぎて尊

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お手伝いしたい思いは

お手伝いしたい思いは

保育園にも行ってなかった頃、母が夕飯を片付ける後ろ姿を見つけて、自分もやりたくなりました。母に脚立に乗せてもらって、スポンジに洗剤をチューっと出してもらうと、あわあわにして夢中で遊びました。お箸だけ一緒に洗いました。
母が台所を終わっても、時間を忘れて泡で遊び続けました。

保育園に行くようになると、ある時急に本当にお手伝いをしてみたくなりました。多分保育園でお手伝いのお話が出たんだと思います。母

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ふたつのだんまりのこと

70年代、2年間保育園に通いましたが、2年間ほぼ喋らなかった私です。
でも、年中と年長のだんまりは、今思うと全然苦しさが違うんです。年長のだんまりはすごく苦しかった。なぜかなと思いました。
今日はこのふたつのだんまりについて、思ったことをお話したいと思います。

年中さんの時のだんまりは、それまで私の周りにはほぼ子供がいなかったので、ただ呆気に取られてぼーっとみんなを観察してるだんまりでした。

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本の読み聞かせのこと

本の読み聞かせのこと

小さい頃、本を読んでもらえなかったという思いが、心の隅にずっとありました。実際父と母には仕事で忙しくなかなか読んでもらえなかったんだと思います。でも、私の周りにいたおばあちゃん達、おじいちゃん達も読んでくれなかったのかしら?
その疑問を解決すべく、記憶を遡っていきました。すると、

みんな読んでくれようとしていました。でも私が拒んでいることがわかりました。
私が「読んで」と言うと、祖母は読んでくれ

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子供と親の「遊ぶ」は感覚が違うかもしれないこと

子供と親の「遊ぶ」は感覚が違うかもしれないこと

最近、何かしていると突然情景が浮かんできます。先日浮かんできたのは、私の記憶の中で今のところ最も小さい頃のものではないかと思います。

私は言葉が話せるか話せないかなので、1〜2歳くらい。父と母が楽しそうに私の前におもちゃを並べます。
私は、遊んでくれるのかしら!と期待を膨らませてワクワクしています。
父と母はおもちゃを順番に私に見せます。
「ともみちゃんこれは好き?」
好きなら遊んでくれると思っ

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怒りという感情について

怒りという感情について

人は私のことを、怒らなそうだとよく言います。自分でも怒りってなんだろう?って思っていました。それは怒りを乗り越えたというよりも、自分が「怒る」ということに激しく鈍感になっているようでした。膜が張られているような感じ。

その証拠に、怒ってる人、イライラしている人に遭遇すると、それだけで自分の心に恐怖が芽生えました。怖くて怖くてたまらなくて、その人の顔色をみたりご機嫌をとったり…気になって仕方があり

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