ともみん

富山県出身。神奈川県在住。 小さい頃から現在までのこと、風景など色々と。 お読みいただ…

ともみん

富山県出身。神奈川県在住。 小さい頃から現在までのこと、風景など色々と。 お読みいただき、なにか感じていただけたら嬉しいです。 レイキティーチャー&ヒプノセラピスト 放課後児童支援員、17認証ライバー https://lin.ee/iZjVc2T

マガジン

  • 80’s 中高生のわたし

    あの頃は、自分が住んでる小さな世界がすべてでした。田舎の中高生の何気ない出来事や思い出。

  • 自分が自分であるために

    私は自分を受け入れたい。主に自分のことを見つめる投稿です。

  • 日常あれこれ

    毎日の日常での出来事、見たこと感じたことを気軽に投稿します。

  • 私はダメな子なの?〜思い出のかけら

    小さい頃から戸惑うことが沢山ありました。自分はダメな子じゃないかと思ったりしていました。自分の思いつく限り、思い出の断片を書き綴っていきたいと思います。そしてその頃の自分を癒してあげたい。物心ついた頃から小学6年生までの思い出のかけらです。70年代から80年代初め。

  • 愛しい故郷の風景

    故郷、富山県の愛しい風景を集めてみました。

最近の記事

  • 固定された記事

こんにちは。新しいわたし

2022年もあっという間に終わりですね。 2022年は、どう私を私らしく表現していくかということをとても模索した一年でした。 note、Instagram、amebloしました。 思ったことをだいぶ書けるようになりました。 でも、どうしてもやらなければ自由にならない壁にあたりました。 私は人前で、自由に話せるようになりたい。 人前に立つと、心臓バクバク呼吸困難になって本当の自分が出せないこと。 人目がこわい。 でももう、ここから私を解放させたい。 今年の秋にはいっそ

    • 初日の違和感は

      80年代後半、私は高校1年生でした。 ここから高校時代スタートです。 皆さんは、物事が始まらないうちに予感や違和感は感じたりするほうですか? 私は高校生になった初日から、この高校じゃなかったと感じ後悔しました。 当時の自分の田舎の高校選びは、さほど選択肢はありません。 私は結局、自分がほぼ平均値の高校を受験せず、安全圏の高校を受験しました。 受験に失敗するのがめちゃめちゃ怖かったからです。 それに、いつも同じ点数だった奇跡のライバルと出会うのちえちゃんも同じ高校を受け

      • ともみんで3年経ちました

        明日、春分の日。 春分の日といえば、 宇宙元旦の日。 そしてこのnoteを始めた日。 3年前「ともみん」の名前でスタートした日。 早いような短いような…。 2020年3月の私。 会社員(ブラック的)で夜遅くまで残業で働きづくめ。家事一切も行い、ヘトヘトでした。 そんな中、レイキを学び、漠然と何かを始めたい。そう思って出会ったこのnoteでした。 ※ちなみに「ともみん」は、noteを教えて下さった方が、仮でつけてくれた名前です(*^^*) なので、3月21日は、 とも

        • 青い空を見て思うこと

          ここ関東は、この季節、晴れていると空がとても青くて、空を見上げると、マスクなんて外して、思いっきり深呼吸したくなります。 吸い込まれそう。なんて美しいのでしょう。 ふと、私の幼少期の、青にまつわる思い出が蘇ってきました。 70年代始め。2〜4歳頃、私は青色のお気に入り具合が止まりませんでした。 色といえば、「青かそれ以外か」という感じでしょうか笑。そのくらい青しか目に入らなかったし、青以外は心が踊りませんでした。青にとても執着した子でしたね。 しかも、青なら何でもい

        • 固定された記事

        こんにちは。新しいわたし

        マガジン

        • 80’s 中高生のわたし
          ともみん
        • 自分が自分であるために
          ともみん
        • 日常あれこれ
          ともみん
        • 私はダメな子なの?〜思い出のかけら
          ともみん
        • 愛しい故郷の風景
          ともみん

        記事

          未来と地下を彷徨って

          今日の思い出話は、もしかしたらだいぶ引かれるかもしれません。 70年代後半、私は小学2年生でした。 私はしばしば想像の世界に行っていました。 思い起こせば初めて行ったのは、ドラえもんのコミックを読んで、未来の世界を見たのがきっかけだったと思います。 心がときめいて、 私がそこに住んだらどんななんだろう? 思いを馳せました。 その想像があまりに楽しかったので、現実がつまらなくなると 「未来に行っちゃお!」 未来の自分の家を想像し、想像の中で生活してみました。 そこでは

          未来と地下を彷徨って

          +2

          夏の五箇山に熱い視線あり

          夏の五箇山に熱い視線あり

          アメリカ横断ウルトラすごろく

          80年代、私は中学3年生でした。 さて夏休み。 今年の夏休みはようこちゃんと「受験に向けて勉強をやろう」と話しました。 朝9時になると、玄関に 「ともーみさーん」 ようこちゃんの声が響きました。私の家での勉強が始まります。 私たちは毎日一緒に、同じ問題集を「今日はここやる」と計画通りに進めていきました。 午後からは自転車に乗って、中学校のテニスコートへ行き、部員の一年生にテニスを教えました。 家に戻ると2人で再び机に向かいます。 6時になるとようこちゃんは帰っていき

          アメリカ横断ウルトラすごろく

          甘えたいから甘えない作戦

          子どもの表現って、ストレートだったり、時に信じられないくらい不器用だったりします。 気を引くため、 わざとダメなことしてみたり ちょっかいを出してみたり… そうそう。伝わりますか? 私の5〜6歳の頃の、とっても不器用な作戦を思い出したので、綴りたいと思います。 私は物心ついた時から、父や母に、抱っこをせがんだり、遊びをせがんだりした記憶がほとんどありません。 うちは共働きで、祖母から「お父さんもお母さんも働いてて忙しいから、わがままを言ったらあかんよ」と言われていたか

          甘えたいから甘えない作戦

          +3

          雨晴海岸の爽やか風景

          雨晴海岸の爽やか風景

          +2

          3色で描いた最後のジャングル

          80年代、私は中学3年生でした。 教科の中では美術が特に好きでした。 小学校の時も、図画工作の時間が一番好きでした。 体育の時間をもっと減らして、美術(図画工作)の時間が増えるといいのに…一週間にたった2時間しかないことをとても恨めしく思ったりしたものです。 美術の中でも、絵を描く時は特に好きでした。 なぜ好きなんだろう?と考えてみると、絵に集中して雑音が無い感じ。夢中になって時間を忘れる感じが、とても心地良かったんだと思います。 そして夢中になって描いていると、席を

          3色で描いた最後のジャングル

          廣子さんとの寒川神社

          梅雨が開けましたね。 と同時に、noteで仲良くしていただいている宮島廣子さんと初めての寒川神社へ行ってきました。 初めての生廣子さん♡は ひと目見て、かわいい妖精さんかと思いました。 綺麗な参道を歩きました。 新緑が私たちを迎えてくれました。 ご祈祷を終えると、ふわぁ〜っと風が吹きました。 思わず笑顔の私たち。 「龍神様のような雲が出てないかしら」 2人で見渡したけれど、雲ひとつない青い空。 これもまた素敵です。 ご祈祷していただいた人が入れる 神嶽山神苑(かんた

          廣子さんとの寒川神社

          仲良くしたいまあるいもの

          小さい頃から怖過ぎて、なかなか仲良くなれないものがあります。それは… ボール。 ずっと球技がほんと苦手で、恐怖で。 思い起こせば、小学校低学年でのドッジボールが恐怖の始まりでした。投げる時みんなすごい顔して投げるでしょう?そしたらパワフルなボールがブーンと飛んできて… 怖い!怖すぎるよ! もう逃げるのに必死です。 「当たったら痛いよきっと。どうしよう」 コートのすみっこで震えてました。 「今日は時間が余ったから…ドッジボールね」 先生が前触れなく言うあの恐怖の言葉

          仲良くしたいまあるいもの

          わたしの中のようこちゃん

          80年代のわたしの小学校、中学校生活によく出てくる親友ようこちゃん。 ようこちゃんは、24歳で人生の幕を閉じました。 小学生高学年では帰り道が同じで、こっそり交換日記したり、畑の土で縄文式土器のまねごとをしたり、楽しい日々を過ごしました。 中学では偶然同じ軟式テニス部で、楽しいこと辛いこと色々経験しながら成長していきました。 中学3年生は同じクラスになり、ひとつ前の牛小屋の住人と恋愛小説でも、「キンギョとフン」と言われるほど仲良しで、よくふざけたりもしました。よく笑い合

          わたしの中のようこちゃん

          牛小屋の住人と恋愛小説

          80年代、私は中学3年生でした。 ようこちゃんとは、同じテニス部で、帰り道が途中まで同じ。中学生になって初めて同じクラスになりました。 話すことが尽きなくて、分かれ道になると、余計に次から次へと話すことが出てきて止まりません。 分かれ道には牛小屋がありました。 牛がモ〜モ〜と鳴いていました。(ちなみに学校の給食の牛乳はここの牛さんのものです)。話していると、牛さん達のかぐわしい香りがしてきました。 あまりにも長く立ち話するので、数学の先生の帰宅時まで居てしまい、車でい

          牛小屋の住人と恋愛小説

          日光へ行ってきました

          先日、日光へ行ってきました。 noteでご活躍中の開運天使さんの「日光 平和の礎、徳川家康神に学ぶ神社散策」に参加させていただきました。 とても感動的で素晴らしい散策でしたので、その様子を綴りたいと思います。   まずは輪王寺 次は星宮神社 本宮神社 二荒山神社 昼食は「全ZEN」の日光湯葉まき御膳 岩戸神社 足利織姫神社 行きの車中では参加者が順番に、ご神託を降ろされる眞理さんからご神託を伺いました。 その中で、今回の旅を通して家康様が伝えたい私の中にあ

          日光へ行ってきました

          ずっと忘れていたこと

          私には小学校の先生を目指した時期がありました。 そもそも、なぜなりたいと思ったんだろう…なることを辞めて以来、それについて深く考えることもしなかった為、すっかり忘れていました。 でも、ひとつ前の「体育祭でランデブー」を思い出した際、あぁそうだったんだと思いました。私が学級会で黒板に皆んなの意見を書いて振り返った時の、あの景色。クラスが一体になって、楽しくて、みんな目がキラキラしてて、あったかい…あの景色。あの景色を見たい。きっとできる。そう思ったんだったと気付きました。

          ずっと忘れていたこと