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わたしの中のようこちゃん

80年代のわたしの小学校、中学校生活によく出てくる親友ようこちゃん。

ようこちゃんは、24歳で人生の幕を閉じました。

小学生高学年では帰り道が同じで、こっそり交換日記したり、畑の土で縄文式土器のまねごとをしたり、楽しい日々を過ごしました。
中学では偶然同じ軟式テニス部で、楽しいこと辛いこと色々経験しながら成長していきました。

中学3年生は同じクラスになり、ひとつ前の牛小屋の住人と恋愛小説でも、「キンギョとフン」と言われるほど仲良しで、よくふざけたりもしました。よく笑い合いました。
長電話。本屋で立ち読み。休日はどちらかの家で朝から夕方まで問題集を解きました。

ようこちゃんはとっても頭がよくて、凄まじい努力家でした。あのT大にストレートで入りました。

私たちは高校、大学は違いましたが、たまに会うといつもとてもリラックスして、あの楽しい感じを思い出しました。大学ではお互い遠くに住んでいましたが、年に何度も会って行き来しました。

そしてようこちゃんは誰もが知る超有名企業に入りました。そんなある日、一本の電話がありました。

「わたしね、心の病気になってしまった」⁡

わたしは人並み外れた努力家のようこちゃんをよく知っていました。どれだけ自分のことを犠牲にして努力したのだろうと思いました。でも諦める、助けを求めるという選択肢はきっとなかったのだと思います。

ようこちゃんは倒れて入院して、入退院を繰り返しました。
ある日、だいぶ良くなってきたから、わたしと会って話したいと一度病院近くのカフェで会いました。

でもその半年後に自ら命を経ちました。

ショック過ぎて目の前が真っ暗になりました。

無知なわたしは、カフェで最後に
「じゃあまたね、がんばってね」
と言ってしまったことを本当に後悔しました。

事前にうつ病のことを調べるべきだったのに、なぜちゃんと調べなかったんだろう。
あの時、適切な言葉を使っていたら、今ごろ元気だったんじゃないかと随分自分を責め続けました。

同時に、お互い心から好きで理解してくれているようこちゃんはもういない。あの楽しい思い出をもう共有することもない。そう思うと辛くて淋しくて、深く暗くて出られない穴に入りこんでしまう感じがしました。

今、とても辛い方がいたら、言いたいです。
期待に応えなくても、一人で頑張ろうとしなくてもいい。そばにいる人はあなたが今日も元気にいてくれるだけで嬉しいし、有難いし、幸せです。
心からの笑顔が見られたらそれはもう最高です。
だから自分のことを一番に大事にして下さいね。
あなたのことをいつも応援しています。

わたしはやっと今、こうやってわたしとようこちゃんの思い出を、ここで皆さんに読んでいただくことで、胸の奥の硬いものが溶けて、少しずつ光が差し込んでくるのを感じます。

ようこちゃんとはたまに夢で会います。
夢でのようこちゃんはいつもセーラー服です。
近ごろはとても楽しく笑っています。
自分のことをもう責めなくていいのよと言ってくれているようです。

わたしも自分のために、まわりの人を応援しながら前へ進んでいきたいと思います。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。
本当に感謝します。
これからも、ようこちゃんが出てくる場面があると思います。温かく見守ってくだされば幸いです。

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