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小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第8話
結論から言えば、わたしたちがドラゴンだと気が付いておばあさんは殴ったわけではなかった。おばあさんは、単にべろべろに酔っぱらっていたのだ。この界隈では、よっぱらって暴れる人として有名だったらしい。ただ、わたしは、わたしの落ち度がこの自体を招いたと間違って瞬発的に察してしまった。
鼻先はドラゴンのままだ。おばあさんはそれを見て、わざと驚いている演技でもしているかのように目を大きく見開き、口を大きくあげ
小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第7話
分厚い色ガラスのついた重そうな扉を開けると、そこには美しいほほえみを顔にまとったおばあさんがいた。しわが増え、髪が白くなると人間は、成体でも歳をとったものだと認識されると学んだ。ただ、わたしはそのほほえみの美しさに、たらふくご飯を食べたあとの幸せな気持ちを重ね合わせ、わたしの中で再現されうる幸せの感情と、彼女の持つ幸せの感情を同じものだと考えることにした。これが、おそらくわたしの中で人間の感情につ
もっとみる小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第6話
わたしはある程度優秀な生徒だったが、経験があきらかにたりなかった。しかしその不安を凌駕する未知への興味があった。
「明日街へ出るぞ」
とジャンは言った。
それは言われたタイミングとしては突然であったが、街にでるのには至極自然なタイミングだった。
夜に、ジャンから明日の準備をしておけと言われたが、準備といっても何をしていいかわからず、なんとなく身づくろいをしてみた。変身をしたら別にうろこの並びな
小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第5話
兄の名前はジャンというらしい。
言葉でしゃべり始め、唸り声で理解し合うのをやめてみたら、自分に名前がないことがわかった。はじめのうちは、問題がなかったので、気付かなかったが、人間界に出る練習をすることになり、そのことがわかった。個体を別々に認識する必要のある文化を持たなかったために、正直自分で自発的に名前をつけるのは、想像がつかず、難しかった。
「ねえ、ジャン。わたしの名前はわたしです、ではダメ
小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第4話
わたしは、毎日寝るように、そして毎日起きるように、当たり前のように叫ぶようになっていた。そう毎日叫んでいると、わたしなりの興を見つけ出していた。
低音を出すようにしてみたり、高音を出すようにしてみたり、はたまた歯の裏に音を当てるようにしてみたり、一緒に舌をふるわせてみたり、鼻から音を出そうとしてみたり。それらの音の試行錯誤がその当時のわたしにとっての自我ということだったのだ。
ある日、
小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第3話
洞窟での生活も、正確に数えられていわたけではないが、二度の冬を経験した記憶がある。おそらく1年と少しが経った頃には、自分が生まれた場所の周辺から離れたことがないのに疑問を持ち始めた。結局のところ、半径50メートル以内の範囲で殆どのことが事足り、そこから離れる必要性は無いと言ってもよい状態ではあった。しかし、わたしの脳みそが重くなるにつれ、周囲にある謎が、わたしを外に引っ張り出そうとしている気がし
もっとみる小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第2話
生まれた時から、洞窟の中では生存競争のトップに君臨していた。生まれてきた卵の殻の中には栄養袋のようなものがあり、はじめのうちはそれと管でつながっていた。その管がぽろりと剥がれ落ちるころには、頭は冴えわたり、遊びがてら狩りをするようになっていた。少し不器用ながらも、ほとんどの場合、一瞬でカタがついた。
わたしの生まれた洞窟は、人間がくるのにはかなり苦労する場所にあり、そのおかげで人間を避ける動物
小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第1話
間借りしている自室の扉から出ると、郵便受けに手紙が入っているのが見えた。最近は外出時、郵便受けの前を通るたびに、そわそわとしていたが、待ちわびた手紙がやっと来たのかもしれない。住所であり道の名前であるアムハッケンブルフという文字の上にはわたしの名前が記してあり、鉛筆でグルグルと描いたようなロゴがその封筒にはついていた。ほんとうは自室に帰ってゆっくりと見たいところだが、それを手早くポケットへねじりこ
もっとみるドイツで2年の完全フリーランス(アーティスト)を経て、また一部バイトをしなくてはならない状況になりました。
2022年の3月から、完全にフリーランスになった。ミュンスターの街からの奨学金を得て生活する恵まれた期間を一年過ごし、それからもスイスのアートインスティテュートで仕事をしたり、少し通訳の仕事をしたりと、フリーランスとしていままで生活をしてきた。しかしながら、12月初めからの1か月半の日本滞在にて、スイスでの稼ぎの殆どを使ってしまい、これからはバイトもしながらという生活になりそうだ。
日本からドイ
自己紹介と書いていきたい事
私は、2009年にドイツに渡ってきてから、こちらで美術アカデミーを卒業し、5年間ドイツでサラリーマンをしながら作家活動をしたのち、フリーランスの作家として今は生活をしています。
実際の現代美術の作家像は、美術の業界にいない人からしたら、新鮮にうつることも多いと思うので、自分も含め作家が実際どういう生活をしているかなどを主軸にして、書いていけたらと思っています。
また自分の従事している分野がパフォー