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小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第1話

間借りしている自室の扉から出ると、郵便受けに手紙が入っているのが見えた。最近は外出時、郵便受けの前を通るたびに、そわそわとしていたが、待ちわびた手紙がやっと来たのかもしれない。住所であり道の名前であるアムハッケンブルフという文字の上にはわたしの名前が記してあり、鉛筆でグルグルと描いたようなロゴがその封筒にはついていた。ほんとうは自室に帰ってゆっくりと見たいところだが、それを手早くポケットへねじりこみ、近くの路面電車の駅へと急いだ。

 昨日ロサンゼルスから到着しているはずのわたしのプロフェッサーは、クラスミーティングに来ないことはもちろんだが、遅刻することも嫌う。彼女にはこの手紙の内容を伝えなくてはならないので、早く中を確認したい気持ちはあるが、もれそうなのにトイレを我慢し、ベストな状態を整えて排泄行為に及びたいような変な気質が顔を出したので、路面電車の中でゆっくりと座って手紙の封を開けることにした。

 まだ10分ほどの待ち時間があるので、角にあるキオスクで奮発してコーヒーを買うことにした。

「イヒ ヘッテ ゲ―ン アイネン カフェー」
「ビテシェーン シューン タークノホ」
「ダンケシェーン エーベンゾー」

 キオスクの店員とは、ほぼ決まり切ったような文言でコミュニケーションをとるが、それは気分の悪いものではない。コーヒーを飲みながら何をするでもなく、足を組みかえたりしていると、やがて旧市街へと向かう路面電車が目の前に来た。

 その電車に乗り込み、横並びに2席ある青色のシートの座席に座ると、誰に見られているわけでもないのだが、冷静を装いながらその手紙を取り出した。その封筒は、ぱんぱんにつまっており、開けて中を確認するとデュッセルドルフの美術学院である、クンストアカデミーデュッセルドルフへの入学が正規の学生として認められた旨と、学生登録に必要なもののリストが入っていた。

 120年ほど前にたまたまデュッセルドルフに訪れた時には、この地に住み、そして美術アカデミーの学生になるなど想像だにしなかった。もっと言えば、洞窟に居たときのわたしは、3度生まれ変わってもこの未来を想像することができなかったであろう。

 わたしは洞窟で生まれた。

 わたしに意識というものが宿った時には、周りには誰もいなかった。

 今思えば、細かい砂利が円状に敷き詰められたあの場所はもともとは親の巣であり、そこの真ん中に鎮座していた卵の中から生まれて来たのがわたしだった。今思えば、とあくまで前置きをするのは、当時のわたしはその状況をそのまま、そのように受け入れていたからだ。

 生まれた時からひとりだったせいか、とくにそのことに疑問を思ったことも無く、無駄に早い体の成長と、日に日に賢くなって行く頭は、生存するための活動を苦に感じることはなかった。


第2話 
第3話


日本語版から、ドイツ語に訳したバージョンも少しずつテスト的に進めていきたいと思っています。ほとんど主に、周囲の友達に読んでもらうためですが、翻訳のことも少し頭に置きながら日本語版も書いていきたいと思っています。ドイツ語版はこちら


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