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小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第5話

兄の名前はジャンというらしい。
言葉でしゃべり始め、唸り声で理解し合うのをやめてみたら、自分に名前がないことがわかった。はじめのうちは、問題がなかったので、気付かなかったが、人間界に出る練習をすることになり、そのことがわかった。個体を別々に認識する必要のある文化を持たなかったために、正直自分で自発的に名前をつけるのは、想像がつかず、難しかった。

「ねえ、ジャン。わたしの名前はわたしです、ではダメなの?」
 とわたしは、ジャンに困った質問をしてしまった。わたしはわたしを、わたしとしか名付けたことがなかった。

「納得はできないかもしれないが、人間界ではかなり不便なことになるから、とりあえず何か決めた方がよい。」
 とジャンは困り顔をしながらも、優しくと説明してくれた。
 
ただ、わたしは、自分の名前を適当に決めたり、決めてもらったりすることがどうしても納得できなかった。それは、後にもしばしば現れる名付けに関するこだわりの始まりであったのかもしれない。
 結局、人間界に紛れる演習として、すこし街を訪れる計画があったので、そのついでに街で目にした言葉や名前から、自分で選ぶのはどうかということになった。
 
 ある日のお勉強の終わり、ジャンは人間に化けて見せてくれた。肌がつるんとしていて、二本足で立つ姿はわたしにはとても珍しく見え、またその姿の変わったものと、ジャンが同一のものだということを面白く思った。ドラゴンには代々姿を変える技術が受け継がれているらしく、ドラゴンとしての生きる技術を教わり、その最終科目として、変身を教えるというカリキュラムが、ある時から自然と設定されたらしい。

 次の日から、人間界での立ち振る舞いの日常訓練に加えて、変身の訓練が始まった。変身後の姿を具体的にイメージをする上で、ジャンはオスで、わたしはメスだということが説明された。その性の違いについても、一人で生活していた時には全く必要の無い知識であった。変身をする先に関しては、どちらでも可能なのだが、一応自分の性に合わせたほうがわかりやすいとのことだったので、とりあえずの目標を人間のメスに変身することにした。
 
 ジャンはまず、人間のメスに変身をしてくれた。初日はとにかくそれを眺めることが訓練になった。まずはしっかりと、立体的に人間の存在を自分の中にイメージできないといけないらしい。変身の仕組みは、説明をうけてもよくわからなかったが、ジャンの教えに従っていけば大丈夫だろうと思った。

 ジャンがあまりにも簡単に変身をしたので、あまり苦労することを想像していなかったが、実際に十分な程に人間を存在、もしくはその形を自分の中でイメージできるようになるまで、育ち盛りの脳みそをもってしても、約2週間がかかった。
 日常的な立ち振る舞いの訓練の最中も、頭の中でその振る舞いをするわたしを投影した人間を動かさなくてはならなかった。全く動くことのできない人間に変身をしても意味はない。そうした訓練を含めたイメージトレーニングに2週間、そして体をその頭でイメージした人間の器に入れ込めるトレーニングを3週間行い、最初の完全な変身をすることができた。その後、その状態で8時間程生活をする期間を1週間設けた上で、わたしのジャンによる、一人前のドラゴン養成講座は街での実習を残し、無事に終わったのであった。 
 
 明日には街に行き、レストランなる場所で、獲物を狩る。


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