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小説「アップバオー美術探訪のピラテゥスドラゴン」 第6話

わたしはある程度優秀な生徒だったが、経験があきらかにたりなかった。しかしその不安を凌駕する未知への興味があった。
 「明日街へ出るぞ」
とジャンは言った。
それは言われたタイミングとしては突然であったが、街にでるのには至極自然なタイミングだった。
 夜に、ジャンから明日の準備をしておけと言われたが、準備といっても何をしていいかわからず、なんとなく身づくろいをしてみた。変身をしたら別にうろこの並びなど関係ないのだが、そのぐらいのことしか思いつかなかった。結局、何かものを準備することも無く出発をしたといっても、必要なものは心の準備だけであった。

出発の日は、雨が降っていた。しかし、予定を変更せずに出発をした。ジャン曰く、雨の日は森に出る人間も少なく、また移動するときに発つ音も雨音に紛れ丁度いいとのことだった。私たちは、すでに人間に変身をしていたが、その足は人間のそれとはくらべものにならない程早く、人間の足では6時間かかるところを(この出発の日から50年ほどたったころに、人間の友人と登山と称し、この近くまで来た時は合計このくらいかかった)2時間程で人里へと降りてくることができた。

この移動している姿を目撃した人間がいるとしたら、本当に目を疑うような光景であったと思うが、幸いにも目撃されることもなく、なおかつ来ているものや振る舞いもその街で違和感の無いものに用意周到に変化していたので、わたしのこころが荒波のようにうねっているのとは関係がなく、わたしたちが極自然にその街に溶け込むことができた。

ルツェーンというその街は、大層に賑わいで、わたしは余りにも驚き、めをぱちぱちとさせて動けなくなってしまった。ジャンは冷静で、そんなわたしをつれて大広場に面したカフェへと連れて行き、そこに座らせた。彼はわたしのためにミルクを、自分のためにハーブティーを注文し、ゆっくり話しはじめた。

「お前の思い浮かべていた街とはやっぱり違ったか?ただ、説明した街の風景と少しずつ重ね合わせて行くんだよ。人間の匂いはどうだ?街の匂いはどうだ? そればっかりは説明することができなかったが、ほら足の下にある床は今、木材で出来ているだろ? そしてこの洞穴(彼は家や建物のことをそう呼ぶ)からそとへ出ると、石が敷き詰められていたり、土が固められていたりするだろ? これは説明した通りだ。説明を受けたことを一つ一つ思い出して、今実際の風景をみて確認していくんだ。少し時間をかけてもいいから。私たちは、今単に昼間の時間をゆっくり楽しんでいる街の人だ。他の人にはそう見えているに違いない。この状態でしばらく居たって、ほかの人たちは気にもしないさ。お前は、ゆっくりと時間を使って周りを確認するがいいよ。ただ、焦りや動揺を顔に出してはいけないよ。」

そう言われて、わたしはそこから少しの間、広場の往来や周りに広がる家や道、そして街行く人々の会話を聞きながら、ミルクを飲みゆっくりと時間を楽しむ少女を演じ続けた。隣で昼時の時間をお茶を飲みながら楽しむ人を二組ほど送り出したことには、あたまの中で思い浮かべていた街の風景と、目の前にある風景がつながってきて、わたしのこころには余裕が出てきた。

ジャンにそう伝えると、ジャンは少し多めにチップを払い、わたしたちはその店をあとにした。その後、私たちは、帽子を買いに店へと向かった。ジャン曰く、帽子を買うには少し店員とコミュニケーションをしなくてはならないので、ちょっとした訓練には丁度いいらしい。

私たちは、黒猫が描かれた看板の帽子屋さんに入った。


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