見出し画像

道玄坂をおりる/嫌な顔をされる 13

 渋谷に越してから三年くらいが経って、その間に転職したりもしたけれど、それからは、あまり自分の中で何が変わったということは感じていない。何もかもどうでもいいなという気持ちも続いていた。ただ、自分がそう思っていることを忘れている時間が増えただけで、相変わらず、ほとんどはただ仕事をしているだけで、それ以外の時間をぼんやりしているばかりだった。
 渋谷に越してきた当初、付き合っていた人もいなくて、寂しさがいつまでもリセットされなくて、週末の夜なんかに、発作的に寂しさが膨らんできてじっとしていられなくなることがあった。そういうときは、とりあえず部屋を出て、近所を延々と歩き回ったり、駅前のツタヤに行ってCDやDVDを借りたり、ツタヤの上の階にある本屋で立ち読みをしたりしていた。
 そういう行動パターンを繰り返す中で、松見坂の方に散歩してみたときに、ロック系の音楽を流しているらしい小さいバーがあって、店の外に出してあったイーゼルに手書きされていた内容としても、自分が入りやすそうな店に思えた。そのときは入らなかったけれど、数週間後、また同じようにじっとしていられなくなったときに、その店に行ってみた。入ってみると、あまり広くもない店内にはスミスが流れていて、客もみんな近所の人という感じでリラックスしていて、自分にも居心地がよさそうだった。その日は、自分と同じ世代くらいのカップルがいて、その人たちと音楽の話とかお互いの仕事のこととかを話して、期待していた以上に楽しく過ごすことができた。
 その二週間後くらいの土曜日、日付が変わるくらいの時間にその店に行ったら、俺が座った席の隣に座っていたのが、有名なバンドのフロントマンだった。俺はその人の顔は知らなかったけれど、バンドの名前は知っていたし、友達がそのバンドを聞いていて、友達からそのバンドの話をされたりしたことがあった。最初は俺が話しかけたのだと思う。どんな話の流れだったかは忘れたけれど、映画の話になって、確か北野武の映画についての話だったけれど、その人から、北野映画についてどう思うのか聞かれ、自分が思うことを話していると、何で俺がお前のそんなレベルの話を聞かされなきゃいけないんだ、というようなことを言われた。
 それから、俺が今何を仕事にしているのか、そこで俺はどうなのか、俺はそこでどうしたいのか、今がそんな感じだとして、そんなことでいいのか、結局は何がしたいのか、何ができたらいいと思っているのか、そんなことを聞かれて、その人は、自分がバンドをやっていること、どういうつもりでやっているのか、どういう困難があって、けれどどういうつもりでがむしゃらにやってきて、けれどお前はどうなんだ、というようなことを話してくれた。途中から他に客もいなくなってしまったこともあって、結局、四時間とか五時間くらい、ケンカ腰に近いような感じなまま、ずっとその人と話していた。
 その人は、本気でやらないとどうしようもないだろうと繰り返しながら、いろんな話をしてくれた。その頃俺は、いろんなことをどうでもよく思っていて、それはその人と話していても変わらなかったけれど、そんなふうに他人が自分に向けて気持ちを込めて話してくれていることが久しぶりで、それが自分の気持ちを温かくしてくれていることに、ありがたいことだなと思っていた。だから、適当に話を合わせるのは嫌で、今の時点ではやる気が出ないし、今やっていることをとりあえずがむしゃらにやればいいというものではないと思っていると、自分が思っていることを話していた。そして、その人はそういう俺に、そんなんじゃつまらないだろうと、いつまでも気持ちを込めて話してくれた。自分の前でつまらなくしているやつがいるのは自分にとってつまらないから、それをやめてくれと、無言のうちに伝えられている感じがした。力強い人だなと思った。バンドのリーダーで、自主レーベルを立ち上げて、その日もスタジオにいたらしくて、かなり疲労の色を濃くしていた。それでも、俺のような捨てておけばいいような人間にも、自分の熱意が伝わるようにしっかりと喋る人だった。話していて、ケンカ腰で気が立っていたところもあったけれど、気持ちはとても温かかった。
 俺とその人が話している途中で、店の人が、その人がソロで他の人と一緒にやっていたユニットの曲をかけてくれた。俺はその曲を、それなりに集中して聞いていたと思う。隣に座っている人が喋っていた声と同じ声で、歌っている声が店の中に流れていた。もう歌詞はまるっきり忘れてしまったけれど、人の気持ちのことを切実に歌っている曲だったと思う。賑やかな感じではなく、音数も少なく、アコースティックの弦の音と歌声が熱く湿った感じを充満させているといった感じの曲だった。いい曲だったし、歌声もよかった。俺はカウンターに肘を付いて、音の響きで自分の中をいっぱいにするように、何を思おうともしないで、音がただ聞こえているのに身を任せたままにしていた。
 曲が終わって、俺は、すごいよかったですと言った。その人は、ぼそっとした感じで、音楽聴いてるときにそんな顔してちゃダメだ、と言った。俺は少し心外だった。楽しそうにしながら聴くような曲でもなかったのだ。けれど、その言葉は、俺に向けてというよりも、小さく吐き捨てる感じのもので、俺をけなすような感じではなかった。多分、俺が集中して聞いていて、音楽自体にも反応していたのは、その人も見ていて感じ取ってくれていたのだろう。けれど、俺が音に集中しようと、感覚に没頭している感じで、楽しそうにしたり、身体を揺らすだとか、そんなふうにはしてはいなかったから、もっと気持ちを動かして楽しまなきゃ音楽じゃないだろうとか、そういうことを思ったりしたのかもしれない。そもそも、そこまでの会話で、お前はそんなんじゃダメだよ、というようなことを言っていたから、すごいよかったですと言われて、ありがとうと言うのも変な感じだったというのもあったのかもしれない。だから、音楽聴いてるときにそんな顔してちゃダメだというのも、ある程度は、そこまでの会話の流れで言われたことではあるのだと思う。けれど、少なくても、そのときの俺が、そんな顔と言われるような顔をしていたのは確かなことなのだろう。
 あの人は、俺の顔をどう思ったのだろうかとは思う。曲を作って演奏して歌った当人が聞かせてあげていたのだ。物足りなかったのだろうなと思う。ただしっかり受け止めてくれるだけではなく、うれしそうにして欲しかったのだろう。実際は、俺は充分にうれしかったのだ。けれど、そういう顔はできていなかったのだろう。
 そのとき、石ころを見る目と言われたときから三年とか四年経った、渋谷に越してきてすぐの頃、自分はそんな感じだったのだ。気持ちが動いているときですら、相手に何かを伝えるような顔をしていなかった。温かい気持ちにさせてくれてうれしく思っている相手に、どういう顔というわけでもない、ただ感じているだけの空っぽな顔を見せていた。そして、それを自分でよくわかっていなかったのだろうと思う。そして、そういうぼんやりした顔で道行く人を眺めながら、たまに嫌な顔をされていたのだ。思えば、嫌な顔をされた記憶は、すべて渋谷に来てからだったようにも思う。きっと荒木町にいた頃に、嫌な顔をされ始めたのだろうけれど、あの頃はそれに気付いても驚くほどの余裕がなかったのだろう。
 夜中に急に寂しくなって、散歩したり飲みに出たりするようになったのは、荒木町にいた頃からだった。渋谷に越してからもそんな感じが少し続いたけれど、その頃から比べれば、今は多少落ち着いてきたのだろう。かといって、何が変わったというわけでもないのだ。今にしても、日々やっていることと言えば、ただ仕事をしているというだけだった。けれど、働いているうえでの気持ちとしては、ずいぶんと違うものになってしまった。
 前の会社では、働いている時間が長すぎて、総じてひどく消耗していたし、途中から、仕事とは関係ないことで自分の気持ちが落ちてしまったけれど、それまでは、前向きな気持ちで仕事をしながら、まわりの人たちともそれなりな信頼を持ち合えるようになっていった。けれど、今の職場では、入社してすぐから上司や部署の他の人たちにうんざりして、まともな関係を作っていくことができなかった。そして、今となっては、上司からは毎日嫌な顔をされて、他の人からも、うっすらと関わりにくそうにされている。仕事をする上でのスタンスが合わないというのもあるけれど、そうだとしても、合わないなりにお互いに気分が悪くないように一緒にいられるようにすることはできたはずだろうと思う。それらのすべてが、自分の顔がそういうふうにさせてしまったことなのだろうと思う。



(続き)

(全話リンク)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?