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道玄坂をおりる/嫌な顔をされる 1

 歩いていると、前からきた四十歳くらいのスーツ姿の男と軽く目が合って、男がちいさく嫌な顔をした。
 またかと思った。瞬間的に、嫌な気持ちになる。なんでそんな顔をされないといけないのだろうと思う。俺は別に何をしていたわけでもなかった。シャツとパンツと革靴に、小さめの革の鞄を肩からかけた、それなりに仕事らしく見える格好で、いつもの朝と同じように、アパートを出てタバコに火をつけ、神泉の仲通りを渋谷駅へ向かって少し早歩きで歩いていただけだった。
 嫌な顔をした男はすぐに視線を逸らし、通り過ぎていった。
 歩きタバコをしていることに対して嫌な顔をされることもたまにあったけれど、さっきされた顔はそういうときにされる顔とは違っていた。歩きタバコを嫌がる人というのは、自分が汚らしいものを見せられて気分を害しているということを一生懸命こちらに知らせようとしているような顔をしてくる。さっきされた嫌な顔は、そういう嫌がっているポーズのようなものではなかった。俺と目が合ってから、目が合ったままで嫌な顔になった。ということは、単純に俺の顔に対して嫌な顔をしたのだろう。
 そういうことがたまにあった。歩いていて、俺は向こうからやってきた人をなんとなく見ている。その人がいたから見ていたというだけで、特に何を思っていたわけでもない。ある程度近付いたとき、相手も俺の方を見て、目が合う。そして、ただ目が合っているという空白の時間があって、それから、俺が目が合ったことに、おや、と思っていると、向こうの顔がぴくりと歪む。表情を作るようにじわっと嫌な顔をされるのではなく、痙攣的な変化が相手の顔の上に起こる。顔の片側が歪んだり、眉間の辺りをこわばらせたり、顔の表面だけを薄くひきつらせたりされる。そして、俺が相手の顔の変化に驚いているうちに、相手は視線を逸らしてすれ違っていく。逸らされるまでの相手の顔には、嫌なものを見たというような感じや、もっとそれ以上に、敵意のようなものがこちらに向けられていることもあった。けれど、そのまま睨み付けられるということはなかった。嫌な顔をされてから、長くても二秒くらいで視線は逸れていった。
 唯一例外だったのは、二年くらい前、残業帰りの遅い時間に、人の少ない永田町のホームを端から端へと歩いているとき、その途中に立っていた白人の男で、その男は目が合ったときは痙攣的に嫌な顔にはならなかったけれど、俺の方を見たまま、のっぺりした言い方で「なんですか」と声をかけてきた。俺は少し驚いて、自分に対して言っているのだろうかと思いながら、そのまま男を見ながら歩いていた。その男はまだ俺を見ていて、そのまま二メートルくらいまで近付いたとき、俺の方へ身体の向きを変えた。そして、私が外人だからと思ってどうのこうの、というようなことを言いながら、俺の行く先をふさごうという感じで近付いてきた。俺は「え?」と聞き返した。男は少し声をうわずらせて、どうしてそんなふうにどうのこうの、というようなことを言っていたけれど、俺は男を避けて、そのままホームの先に進んでいった。通り過ぎたあとは、男も追ってこなかったし、俺も振り返らなかった。
 その白人の男の場合は、目が合って嫌な顔をされたというわけではなかった。むしろ、表情は目が合ってから動かなかった。けれど、俺と目が合ってから、ゆらりと俺の方へ向いたタイミングからしても、なんですかと言った声のトーンからしても、自分を見ている俺の顔なり目つきなりが、男に不快なものを感じさせたのだろうと思う。もちろん、俺の顔がどうこうという以上に、その人自身が「私が外人だからと思って」というような問題でこんがらがっていたのかもしれない。もしくは、単純に酔っていたのかもしれないし、どうにもならない考え事が頭から離れなかったりしていたのかもしれない。
 四十歳前後くらいで、背はそれなりに高く、穏やかというか優しげな顔つきをしていた。話しかけてきた日本語の発音もなめらかだったから、もうすでに日本に長く住んでいたのだろう。顔つきがすっかり日本人的になってしまっているなと思った。日本の都会に住んでいる人たちの多くがそうであるように、目つきにしまりがなく、その人の気分が見えてこないような曖昧な表情をしていた。日本人からしたときに多くの外国人に対して感じる素の表情での目の硬さというか、自分を守るようにして、自分の今の感情で視線を固定している感じというか、そういうものが抜け落ちたあとの顔のように見えた。スーツではなくカジュアルな格好ではあったけれど、鞄や靴の感じからして、会社帰りっぽい雰囲気だった。外国人にとって日本で働くのは難しいことだと言われているけれど、そういう難しさや不自然さを受け入れるということがどういうことなのかを感じさせられたようで、それも含め後味が悪い出来事だった。

 一階に焼肉屋の入ったアパートを通り過ぎたけれど、猫はいないようだった。アパートの階段に続く通路も覗き込んでみたけれど、やはりいなかった。今朝はどこかに行っているのだろう。たまに白黒の猫がいる。朝は焼肉屋の入り口の前で座っていることが多い。夜帰るときとか、焼肉屋の営業時間中は、同じように入り口の前に座っているか、もしくは店の中に入り込んで、けれどやはり扉の前に座っていた。店に入ってすぐのところにある飾り棚の上で、花瓶と並んで座っていたこともあったけれど、それはごくたまにだった。
 朝はいつもぎりぎりの時間に家を出ているから、猫がいたとしても、近付いて構ってもらったりするわけでもない。通り過ぎながら軽く手を振ってやるくらいだった。たいていの場合、猫は店の前で直射日光を浴びながら目を閉じてじっとしているだけで、手を振ってみたところで気付いてすらくれない。たまに目を開けてこちらを見ていることがあっても、俺が手を振っても反応しなくて、静止したままだった。大きく手を振れば驚いてくれたりもするのだろうけれど、小さく手を振っているだけだから、わざわざ逃げる必要はないと黙殺されているのだろうと思う。
 そうやって猫に挨拶するというのは、自分が勝手にやって勝手に満足しているだけのことだけれど、焼肉屋を通り過ぎながら、猫が寝ていたり座っていたりするのをちょっと目にするだけで、いつも少し気分がよかった。猫がいなかったとしても、今日はいなかったなと思って、どこか別の場所に座って目を閉じている姿を想像できたりする。そうやって自分のことではない、他のもののことに気持ちがいくだけでも、きっと気分的にましになっていたりするのだろうと思う。
 前から歩いてきた近所のおばさんふうな女の人が、焼肉屋の方を見ていた。俺が猫を探していたから、焼肉屋の近くに何かがあるのかと思ったのだろう。その女の人が、別に不審そうにというわけでもなく俺の方を見た。俺は、猫がいなかっただけだよ、と思いながら、小さく口の端を上げて視線を前に戻した。タバコを吸いながら、さっきスーツ姿の男から嫌な顔をされたことに、まだ嫌な気持ちが残っているなと思った。
 目が合ったときの嫌な顔というのは、子供から大学生くらいまでの若い人や、高齢者と言えるような年齢の人からはされたことがなかったように思う。若い人たちと年寄りの間、つまり社会人くらいの年齢の人たちばかりで、その中でも、ほとんどが男だった。そして、あの白人も含めてそうだけれど、会社勤めふうの人ばかりだったと思う。近所のおばさんや、お店をやっているおじさんなんかからは、そういう嫌な顔をされることはなかった。
 嫌な顔をされると、ひどく気持ちが落ちてしまう。誰かから嫌われたり、距離をとられたりするほうが、よほど苦痛が少ないように思う。嫌われるのは、相手との相性だったり、自分に悪かったところがあったりとか、これまでの経緯を考えて仕方がないと思うことができる。けれど、ただ顔を見られて嫌な顔をされるのでは、何もしていない時点で、すでに自分が嫌なものだったりするかのように思えてくる。
 別に、たまにそういうことがあるというだけで、たくさんの人から嫌な顔をされるわけではなかった。身近な人から、ふとしたときに嫌な顔をされたりするわけでもない。けれど、友達だったり会社の同僚だとか、そういう間柄の場合、最初にその人を見たときに感じた違和感とか嫌悪感というのは、何度も顔を合わせるうちに感じないようになっていくものだったりする。そして、多くの人は、歩いていてすれ違う他人の顔なんてまともに見ていない。だから、たまにされる嫌な顔の方が、かえって本当のことなのかもしれないと思ったりもする。ふとしたタイミングで、いきなりまともに俺の顔を見たときには、そこに何か不快なものがあるのかもしれないと思ってしまうのだ。

 コンビニの手前にある服屋のガラスに映っている自分の姿を横目に見た。顔がよく見えたわけではないけれど、ぱっと見た感じとしては、別に何というわけでもない顔に思えた。確かに、特別いい人そうだとか、親切そうな人だとか、そういうふうには見えないだろうなと思う。かといって、いかにもいい人そうに見えないからといって、それだけであんなふうに嫌な顔をされたとも思えない。相手が嫌な顔をする前に、俺の方が相手に嫌な顔をしていたわけでもなかった。むしろ俺からすれば、嫌な顔をされたのは唐突なことだった。俺はただ前の方からやってくる人を見ていただけで、何を思っていたわけでもなかった。そして、そのまま目が合っただけで、特に表情も作っていなかった。
 もちろん、それがいけないのかもしれないとは思う。国によっては目が合ったら微笑みかけないと不都合があったりするのだろうし、日本でだって、街中では知らない人とは目が合わないようにしたり、目が合ってしまったらすぐに逸らすのがマナーのようなものだったりするのだろう。
 とはいえ、俺からすると、それがマナーだというのもよくわからないことだった。街中では人と目が合わないようにするというのは、目の前は人だらけなのにそれを見ないようにするということで、それも不自然なことだなと思う。確かに、歩いていたり電車に乗っているときに人の顔をぼんやり眺めていると、何年かに一度とか、ごくたまにだけれど、ガラの悪そうな男の人から、「何見てるんだよ」という顔をされることがあった。幸いにも殴られたりとしたことはなかったけれど、何度かそういう雰囲気になったり、相手が少し身を乗り出してきたりしたことがあった。視線が合ったらすぐに目を逸らすというふうにしていれば、そういうことに巻き込まれたりはしないのだろう。
 けれど、知らない人から見られるというのは、そんなに嫌なものなのだろうかと思う。俺は知らない人に見られてもあまり気になったことがなかった。もちろん、視線を受けていると、なんだろうと思って少し落ち着かない感じにはなる。けれど、危害を加えられるわけでもなく、見られて困るわけでもないから、相手の好きにすることだと思うだけだった。
 ただ、さっきすれ違った男にされた嫌な顔は、そういうような、見られているのが迷惑だという感じの顔でもなかったのだと思う。ガラの悪そうな人が「何見てるんだよ」という顔をしてくるときもそうだけれど、そういうときは目が合ってから、相手の中で「人のことを見るな」という気持ちの流れがあって、そのあとで表情が浮かんでくる。睨んでくるのではなく、鬱陶しそうな表情をしながら視線を外される場合にしても、相手の中に感情の流れが見えるから、こちらも相手が迷惑に思ったのを感じてすぐに視線を逸らす。そして、そういうときは、こちらも悪かったなと思うだけで、嫌な気持ちになったりしないのだ。
 もちろん、俺が考えすぎているだけで、さっきの男も単純に見られていたのが嫌だったのかもしれない。けれど、目が合って相手の顔に何かしらの変化があったときに、ひどくこちらの気持ちが揺さぶられる嫌な顔のされ方があって、それらはどれも感触が似ていた。そして、そのときに自分に向けられていたものは、迷惑というような感情ではなかったように思えるのだ。


(続く)


(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです


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