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お金の教育 -進路についてのこと-
進路を考える以前高校の理科の選択授業で、化学を選んで勉強している時期がありました。
教師との仲はよかったのですが、成績は全然ダメでした。
学生時代は嫌いな教科がなく勉強したい気持ちが常に溢れていましたが、勉強の仕方を知らず、煩悩と雑念にまみれていたので、結局そんなに成績がよくなることはありませんでした。
それでも文系の科目は多少マシでしたが、理系の科目は点が取れず、落第しなかったのが不思議なくら
お金の教育 -結婚についてのこと-
新卒採用で同期になって、今でもつきあいのある女性がいます。
新人研修で一緒に二か月同じ部屋で寝泊まりした彼女は、珍しくいろんな話ができる貴重な親友になりました。
彼女の家はうちの家と全然違うところだらけでした。
彼女は美人なのですが、服装については日によって不思議な恰好をしていることがありました。制服のない会社で毎日華麗にコーディネートできるほどの服も持っている訳ではなかったからです。
しかし、
自分のお金と家のお金
私は世帯主として自分の持っているお金と稼ぐお金で家のこと全般と自分のことに使うのですが、家計と自分の小遣いの切り分けはしていません。
家の食費も自分のお茶代も分けてはいませんし、家の電話やネットの料金も自分の携帯代も一緒くたです。
自分だけの趣味の本代も服代も子供の服代と分けて管理していません。
自分の小遣いを決めていて、「小遣い」として支出したら家計でその詳細を見ない方法もあると思います。ご夫婦
母のこと #25 見送り
母の見送りのために、家族である私と兄の家族、母のきょうだいとその家族が集まりました。
それは、母に繋がる人が一同に会した稀な機会となり、同じような時はあれからは二度とありません。
通夜と葬儀
母がなくなったとの連絡は、施設の職員の方からもたらされました。
施設から連絡を受けた兄嫁が、職員の方に私への連絡を言づけたためです。
当時私は携帯電話を変え、兄や兄嫁に新しい電話番号を伝えていませんでした。
母のこと #24 施設入居
母が大阪を離れて以来、母に関することは兄に任せていました。
必要と感じた時は兄嫁が連絡をしてきました。
ですのでこの時期のことは兄と兄嫁からの伝聞で知るのみです。
帰阪し施設に入る
退院した後、叔父(母の弟)の家に移った母は、そこでまた自殺を図ります。
叔母がすぐに兄に連絡をしてきて、このような状態の母の世話はし切れないから引き取ってくれと言ってきたそうです。
兄はこの状況に対処することを兄嫁に
母のこと #23 入院
母は体が丈夫な人でしたから、出産以外で入院したことはなかったと思います。盲腸の手術もしていません。
そんな母ですが、ついに心身の調子を崩して入院することになります。
入院生活は長きにわたりました。
当時の状況母は財産や所持品の管理が出来なくなりつつありました。
何かの時に母の実印が必要になったのですが、母はどこに実印があるかわからなくなっていて見つかりませんでした。
仕方なく急いで実印を作り直し
母のこと #22 変化の流れ
あまり楽しい内容ではないけれど、覚書として母が変わっていく様子を書き留めておきます。
母の変わりゆく姿は、私が初めて間近で見た「老い」でした。
(前の記事とかぶる内容もあります)
最初の気配母の老いを最初に感じたのは、まだ4人暮らしをしていた時でした。
母は仕事を引退し暇になり、手慰みにまた洋裁をやりかけていた頃です。
私がまだフルタイムの仕事ではなかったので、朝一緒に近所の喫茶店にモーニングセ