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お金の使い方

 長いことお金の使い方が下手過ぎて、それをどうこうと正面から考えたことがあまりありませんでした。
 本などで有り金をはたいて何かを買ったとか賭けたとかってことを見ると、潔くお金を使う人だなと思う反面、その後の生活とかどうなるんだろう、この人そんなこと考えないのかなと思ったりしていました。
 自分はと言うと、とにかくお金を使うこと=ストレス。
 お金の話=借金の話。
 そんな固定された感覚に縛り付けられているような状態でした。

 生活のためにとにかく仕事をやめないでいましたが、心細くてそのうち生活保護になるんじゃないかと思っていました。
 家計簿をつけて、家計相談をしても、それはそんなに大きな効果は出なくて、振り返ると一番よかったのはイヤでもなんでも正社員で踏みとどまって粘ったことでした。
 小さい会社に中途入社したのですが、勤続10年を超えました。この間に、正社員であることの意味、ありがたさを実感しました。途中で何度か会社が潰れるかもしれないと思うことはありましたが、それを切り抜けると小さいながらも安定した生活にたどり着きました。
 夏冬ボーナスにはまだたどり着けてませんが…前年の業績によっては期末賞与が出ることがあります。
 また、もう終わりましたが母親が亡くなって残された年金を少しもらったこともありがたかったです。

 バブルが弾ける直前に就職して、その直後にバブルが弾けて以後転職が多く、ロクに賞与をもらった経験がありませんでした。
 大人なのでお駄賃やお年玉がある訳はなく、ダブルワークをする時間も体力も精神力もなかったので、いい歳になっても何か思い切った買い物をする機会はありませんでした。
 それが、母の年金をもらったことと、その後に会社から時々賞与が出ることで、日常の買い物ではない、特別な買い物をする機会を作ることができたのです。

 ただ、投資ではないので買ったものは残って手許のお金は減ってしまいます。
 その後は次のステップとして、いい買い物をすることとお金を減らさず増やすことを考え始めました。
 前置きが長かったですが、この「いい買い物をすること」が今回のテーマです。

 つい最近まで、というか今でもちょくちょく、買い物をしておいて「買ってしまった…あぁ」と嘆息することがあります。
 よく考えて買い物をしたつもりだけど、やっぱり買わない方がよかったかなと、買った尻から後悔している状態です。
 とてもよくあることなんですが、これ、買ったものやお店にも失礼だし、買った自分を自分で貶めてるような気がするのです。
 買いたいものを買ってハッピーになるどころか、それで自己肯定感を下げてしまってるんですね。
 なんでそんなことになるかを考えたのですが、要は
①憂さ晴らしに何か買い物をしたいだけで、実はそんなに欲しいものを買ってない
②本当に欲しいものは別にあるのに、それがなかったり手が届かいない値段なのでもっと安い別のものを買った
③勧められて断れなかったので買ったけど、実は別にそんなに欲しくなかった
④期待して買ってみたけど、実際手にしたら期待外れだった
この4点のどれかに当てはまるからかなと。
 自分には買い物依存のケがあって、それがストレスとともに高じたり落ち着いたりを繰り返している感があります。なので、①と②はとても多いケースでした。今でもたまにあります。
 何かあると買い物をして気を紛らすのは習慣的にやってしまう癖のようなものなので、自分でそれを自覚してやめるには訓練が要ります。手間も時間も精神力も要ります。
 本当に欲しいものを買って嬉しくなるとか、高いものだけど努力してそれを手に入れるとかそんな体験を少しずつ積み重ねていかないと、今このイライラする気持ちをどうしたらいいの!?って暴れそうになる自分を飼い馴らすことが難しいのです。
 この訓練をもう何年も続けていて、まだ道は半ばですが、実践とともに座学もやっています。今でもよく思い出すのは「カネ遣いという教養」という本に書いてあったことです。お金に関する教養と言えば、昨今は家計管理や投資に関することがブームですが、この本はとにかくお金を使うことに集中して書かれています。その使い方がまた、本人のこだわりたっぷりで。
 レビューを見ても賛否両論のこの本ですが、私はこの本でお金を「使う」ということを知りました。自分は何にこだわって、何にお金を使いたいかを考えて、実際にお金を出すことを、私は知らないで育ち生活してきたと思いました。周りの親きょうだいがそれをしたことはあったはずですが、そのような話をじっくり聞くこともなく、お金の使い方が家庭で話題になることはありませんでした。家庭の外でも同様です。もしくは、そのような話を聞いて理解するアンテナが私にありませんでした。その結果、私自身はお金に振り回されるばかりになったような気がします。
 自分で考えて能動的にお金を使うことで得るものがあり、見える世界があることを、この本を読んで知りました。できることなら、私はそのような経験をしたいと思ったのです。
 やって虚しく後悔する買い物ではなくて、嬉しくて幸せになる買い物がしたい。
 その境地にたどり着くにはハードルがいくつもあります。
 衝動的にならず時機を計る、妥当な値段と質かを検討する、後悔しないかを自問する、人や家族に言うかどうか(言えるかどうか)、無理なく出せる金額かどうか、売る人がどんな人でどんな関わりか、使い道があるものか、自分を一瞬でなくしあわせにしてくれるかどうか…などなど。
 買い物をすれば手許のお金は減ります。
 でも、よく考えてした買い物であれば、後悔はないし自己肯定感は上がるし幸福感も感じます。
 それを目指して訓練を続け、最近は少しずつですが成果が出てきています。
 小さなしあわせでもそれを感じられたら、買い物だけでなく、大袈裟ですが生きててよかった、がんばってきてよかったと思うこともあります。
 あんまり手許のお金が減るのは危険だけれど、それに気をつけつつしあわせを追求する買い物をしていけば、人生いい感じにやっていけるんじゃない?と思えるようになってきました。
 お金を使うことが、ストレスではなくなってきたのです。
 私の人生で、これはかなり革命的なパラダイムシフトです。
 自分の買い物だけでなく、家族のためにお金を使うこともあり、家族がしあわせになるなら出そうとか、家族のためにどのようにすれば僅かずつでも蓄えや備えができるだろうかとか、お金の話がより前向き・建設的なものになってきました。

 まだまだお金の道は長く、きっと一生とぼとぼと歩いていくんだろうけど、そんなに間違った道を歩いている訳ではなさそうと思えるようになった今日この頃です。


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