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ものぐさな職業選択

お金のことに繋がる職業選択についてのお話です。

中学で出会った英語

中学生の頃から英語が好きで、学校の授業以外に自分で本を探してずっと勉強をしていました。
最初から自然に英語が好きになった訳ではなく、中学に入って始まった英語の授業がわからなさ過ぎて困っていた時に、友達が通っていた英語塾に誘われたのがそのきっかけでした。
その英語塾は小学生向けの大手スクールで、学年ごとにクラスが編成されていました。中学1年生のグループは、私と友達とその他に1~2名くらいだったと思います。
中学生当時、うちは景気がよかったのですんなりと塾に通うことにOKが出たのだと思います。片や、友達の家はそんなに余裕はなかったように見えたのですが、なぜそこに通っていたかはよくわかりません。
教えてくださった方がとても面白くていい方だったので、私は通い始めてすぐに英語が好きになりました。
中学時代にはわからないなりに勧められて英英辞典を買い、別冊宝島の「道具としての英語」シリーズを買い、アルクのイングリシュ・ジャーナルを読んだりしていました。それはそのまま高校になっても続き、高校時代はアルクのペンギン・リーディング・マラソンを利用したりしていました。
しかしながら、そこまでしていても英語を喋ったり書いたりするのがそれほど上手くなった訳ではなくて、精々リーディング・マラソンのカセットテープを聞きまくって多少英語耳ができたかなくらいのことでした。

中学・高校の英語の授業では、自分で覚えてそれらしいと思うような発音で本を読むことはできず、わざと下手に日本語らしく読まないとバカにされるという、同調圧力がとても強い雰囲気の中にいました。
また、高校時代は家の経済状態が極端に悪くなり、更に兄が家出をしたり父親が蒸発したりという嵐のような状態になり落ち着いて勉強する余裕がありませんでした。
それでも数学だけは落第しそうだったので通いの家庭教師のお世話になっていましたが、今でも申し訳ないほどちゃんと勉強できていなくて、教え甲斐がない生徒だったなと思います。
また、嫌いな教科がないほどに勉強が好きだったのですが、自分の「好き」「面白い」と大学受験勉強の方向性がまるで違うことにも気づき、定期テストの点数が上がらない状況に陥ってしまいました。(実力テストの点はそこそこだったのですが)

大学時代

細々と自分で英語の勉強をしていたので、できれば英語の勉強ができる大学に行きたいと思ってはいました。夢を言えば、同志社大学で学費全額免除を受けて通うこと。
(そう言えば、高校進学の時も私学のプール女学院に行きたいと思って、思ってるだけで終わりました)
家の経済状態を考えると国公立しかなく、そうなると大阪外国語大学一択になるのですが、学校の勉強の成績がイマイチでとても共通一次は通らないと思うと、プライドが邪魔して受験申込したのに受験できなかったのでした。黒歴史。
経済的なことを考え、かつ当時の自分の趣味もあって夜間の専門学校に行こうとしたのですが反対され、結局母に誘導されて私学だけど国公立並みに学費が安い私学の外国部学部英米学科に入学しました。
一度は諦めようとした英語の勉強ですが、また4年間続けることになりました。
途中でやめたくて揉めたりもありましたが、それなりに4年間過ごして就活の時期になりました。しかし、私は自分の英語力にまるで自信がありませんでした。
とても英語を使った仕事を志望することはできないと思いながら、私より英語できなさそうな同級生が笑顔で英語を使う仕事を目指しているのをただ眺めていました。

就活

就活に当たって考えたというか考えるのをしなかったのは、一般職と総合職のどちらがいいかということです。
今現在もそういうものがあるかどうかは知らないのですが、当時女子学生はそのどちらかをまず選んでから、それを募集している企業を選ぶことになっていました。男子学生にはそんな区分けはなく、すべて総合職の扱いになっていたと思います。
私はそのどちらかを選ばされることが苦痛でした。
そんな理不尽はシステムに乗りたくなかったのです。
そのシステムから逃げる方法を模索した結果、技術職を選ぶことにしました。
目指す業種は印刷関連かソフトウェア開発と決めました。
これはとても単純で、家業が印刷屋だった影響で印刷関連、学生時代にバイトしていた電気屋さんの社員さんがそっち方面の時代になるよと言っていたのでソフトウェア開発。
技術職と決めたので、最終的に小さなソフトウェア開発会社の技術職として採用を得ることができました。

当時は仕方ないのかなと思いはするけれど、自分の適性を考えることもなく、自分が本当にしたい仕事は何かを考えることもなく、考えたとしてその職に就けるとも思えないくらい自己評価が低く、信用できる大人は身近にいない中での就活、就職でした。
てきとーに決めたよなと思います。
その技術職がその後の人生で大いに助けになったのは不思議な巡り合わせですが、最初の就職は本当に適当でした。
今ならインターンを経験したり、したい仕事をイメージしてまずバイトをしたり、OB・OG訪問をしたりするのでしょうか。
SNSを通じて、その職業の人を観察したりするのでしょうか。
企業の口コミサイトもありますよね。
未だに就活の方法も採用したい人事のこともよくわかっていませんが、働く経験を積む最初をいただけたことはとてもありがたかったと思います。
また、実は男女で条件は変わらないはずの技術職ですが、手当の制度では差別があることなどを就職後に知りました。ガラスの天井か。
(当時のその会社では、家族手当は男性社員にしかつかなかった)

今思うこと

自分は、本当は英語を使う仕事に就きたかった。
通訳になりたかった。
そう思って、それに向かって突き進んでいたら、どんな人生になっていただろうと思うことが未だにあります。
それとも、母親の反対を押し切って夜間の専門学校に通っていたら、その後どうなっただろうか。
自己評価が低い自分が今そこにいたら、いろんな言葉で励ますのにと。
そうできなかった過去を、これからにどう活かすかをずっと考えています。
無駄な経験にしないために、何をどう考えて、どう行動していこうかと。
折角まだ生きているんだからなと。

(ちなみに、その後の人生の紆余曲折から、私は現在技術職から営業職になっています)







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