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香織の誤算:ショートショート

香織の誤算:ショートショート

 『よし、いいぞ、太郎、その調子だ』
太郎という名のウーバーイーツ配達員が、自宅マンションに向かって正確に駒をじりじりと寄せてくる。
『よし!そこを左だ!太郎!』

 思惑通り、駒は左に曲がった。

 左・・・左・・左?

 自分で自分に暗示をかけているのか、あるいは一体全体、どっちがどっちに誘導されているのか、悠太は自分に近いすぐ袂の左を見た。会社が終わって帰宅し、このテーブルについてパソコンを

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綺夏のいたわり:ショートショート

綺夏のいたわり:ショートショート

 かすむ目をパチクリさせながら歯を磨いていたら、突然、鏡の自分と実際の自分の動きとが、少しずれているのではないか、という気がしてきた。
 一旦、歯磨きを中断して目を流してみる。
 クリアーになった視界はだが、却って状況を詳らかに露呈してしまったようだ。

 かすんでいた時の方が、鏡と自分はずっと合致していた。

 顔を上げたとき、綺夏(あやか)は自分の後頭部が見えてしまったのである。幸い、地肌はし

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由香の藁人形:ショートショート(ホラー注意)

由香の藁人形:ショートショート(ホラー注意)

 6年3組の担任萩山は、クラス一の美少女、七菜香の肩をすこぶる持っていた。萩山がそんなつもりでないことは言うまでもない。彼はいたって公平に接している気でいたし、それどころか、誰よりも事情を知り、一切の偏見から免れ、視野広く全体を俯瞰する、自分だけが真実を見ている唯一無二の人格者だと信じている。

 「どうしてクラスの友達にそんなことするんだ?」

由香、翔子、未希の三人は、ぶすっとした顔をして黙り

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和佳子の乾杯:ショートショート

和佳子の乾杯:ショートショート

こつん、と、乾杯の音が響いて消えた。

はかない瞬間だった。ここに至るまでの苦労をすべて順に記してゆけば、それはオーケストラの奏でる交響曲になるのではないか?

しかし現実に鳴ったのは、なんとも侘しく冷たい音だった。

けれども、何百年と世界中で愛されてきたこの習慣は、生きた化石といって過言ではないだろう。

と、和佳子は、焚火の明かりに一人照らされて、永く続く人の営みに思いを馳せた。そしてくいっ

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睦子の逆鱗:ショートショート

睦子の逆鱗:ショートショート

 西暦2320年、日本でアダルトビデオの販売および制作が禁止されて200年が経つ。公序良俗に反するからではなく、むしろ性は性として積極的に肯定されており、しかし性教育の面からいってアダルトビデオは百害あって一利なしであったから、もってこれを禁じ、良質な性生活の実現を志す非営利団体監修のもと、セックス通信教育が無償で提供されていた。
 50年前の2270年には、ネット闇市を通じた取引やダウンロードが

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カミーユの揺りかご:ショートショート

カミーユの揺りかご:ショートショート

 1997年9月のある日の午前、7歳だった私は訳の分からないまま、内戦の傷跡がいまだ生々しいカンボジアの地へ降り立った。

 隣国タイの首都バンコクを経由しなければならなかったので、成田空港からジャンボジェット機でやってきた私たち家族は、そこで打って変わり、プロペラ式の小型旅客機に乗り換えていた。ちょうど手に持っていたJALのおもちゃ飛行機と、そう変わらないようなこんな飛行機に乗って、墜落してしま

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多美子の逡巡:戯曲(3200字)

多美子の逡巡:戯曲(3200字)

登場人物
多美子 エンジニア(助手)
ローリンゲン教授 インテリ教の最高権威
ノベール 正体不明のインフルエンサー

あらすじ(舞台背景)
 世界を一瞬のうちに破滅させる兵器の開発に、多美子はエンジニアとして携わっていた。なぜこんな仕事に就いているか。それが神の意志に他ならないと考えているからだ。罪悪感に苛まれることはない。この兵器が産声を上げる前から人類は永く、殺し合いに殺し合いを重ねてきた。そ

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杏樹の男の子:ショートショート

杏樹の男の子:ショートショート

10歳の《ぼく》はよく、河川敷で壁当てをして遊んでいた。少し離れたところのグラウンドでは、リトルリーグの少年たちが、声を絶やすことなく練習に励んでいた。

友を叱咤し、激励し、その同じ友から叱咤され、激励され・・・というその輪のなかに《ぼく》は入ることができなかった。
あんまり近いところでは恥ずかしいので、離れていなければならなかった。しかしあんまり遠いと、孤独で寂しかった。

なにが恥ずかしいと

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愁子のバトン:ショートショート

愁子のバトン:ショートショート

 愁子(しゅうこ)はグラスに赤ワインを注いだ。味にこだわっている訳ではないが、決まってオーストラリア産だった。というのはボトルの栓がコルクではなくキャップ式のものを選ぼうとすれば、おのずとオーストラリアになるのだった。それでいて香りは芳醇で濃厚、味の全体的な輪郭もしっかりとしていて、舌に滲み渡る複雑な酸味がそのしなやかな輪郭の内で絡み合う。文句なしの条件だった。

 混じり合って一色にならない味わ

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冬佳のデジカメ:ショートショート

冬佳のデジカメ:ショートショート

 夜中に目が覚めた冬佳。なにも見えない暗い部屋のなかで、例外がひとつだけ、一筋のまばゆい明かりが見える。ぼんやりとして働かない頭でも、それはわずかに開かれた襖の隙間から漏れてくる明かりだとわかった。
 ドアにせよ、襖にせよ、閉じる際に音を立てるのが好きじゃない冬佳の癖だった。こんなにお行儀のよい子供が、彼女の他にいただろうか?
 しかし躾の良さとか、育ちの良さからくる癖ではなかった。冬佳はただ怖か

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夕子のアラベスク:ショートショート

 河川に接する緑豊かな公園で夕子は、あたかも犬に繋いだ伸縮リードに引かれているかのように、腕を差し伸ばしてみる。指の先まで寸分の狂いなく、リールの収まる本体を手にしている人のそれに似せてみせる。

 無数の高い樹木に囲まれ、あたりに木漏れ日がきらめくなかで夕子は、

 我ながら優雅な手先ではないか――、と思う。

 幼いころに習っていたこともあるし、今でも時おり鑑賞するバレリーナの華麗な舞いが空想

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芽衣子の再会:ショートショート

芽衣子の再会:ショートショート

 人生に希望を見出せなくなった芽衣子は、最期の旅に出ることにした。なけなしの貯金を使い切って、人生最大の贅沢を味わい、底をついた地でこの世に別れを告げようと考えたのだ。
 ここがどこで、どこからどうやってやってきたのか、と、考えることには、また記憶することにも、意味はなかった。
 ただただ日光が明るく、川の流れる音が延々と轟ていて、遠くからかすかに鳥のさえずりが耳に届いてくる。
 それらは記憶でも

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菜々美の慈しみ:ショートショート

菜々美の慈しみ:ショートショート

 女性が性的対象の菜々美には、2歳になる娘がいた。夫、令治との結婚生活と同い年だった。好きでもない男と結婚したのではなく、性的対象ではないが、好きな男と結婚したのだった。どの点が好きかと言えば、あまり大きな声では言えないが、不倫をしても傷つかないところだった。もちろん、たとえば人として尊敬できるというのもあるけど、あくまでそれは必要条件であって、それだけでは十分でなかった。

 バイセクシャルの彼

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真由美の催眠術:ショートショート

真由美の催眠術:ショートショート

 『日本は女尊男卑』とか、『女の方がずっと恵まれている』とか、こうした言説にはある程度の真理が含まれている。
 しかし真由美は、この真理にあずかれない醜い女だった。
 ずんぐりした顔の鼻はぺちゃんこに潰れていて、切れ長の目が人に与える印象は決していいものではない。それでも彼女は、あふれる母性をペットのアメショーにこの上なく注ぎ、保護者としてその責任をまっとうしていた。要するに彼女は心豊かに生きてい

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