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真由美の催眠術:ショートショート

 『日本は女尊男卑』とか、『女の方がずっと恵まれている』とか、こうした言説にはある程度の真理が含まれている。
 しかし真由美は、この真理にあずかれない醜い女だった。
 ずんぐりした顔の鼻はぺちゃんこに潰れていて、切れ長の目が人に与える印象は決していいものではない。それでも彼女は、あふれる母性をペットのアメショーにこの上なく注ぎ、保護者としてその責任をまっとうしていた。要するに彼女は心豊かに生きていた。

 ありったけの愛でこの猫をつつみこんで、幸福を味わってほしい。この世に誕生したことを、幸せなことだと思ってほしい。心に巣くうそんな願望こそ、豊かさの象徴だと信じていた。
 もしこの猫が不幸をしか見れないのなら、真由美は途方もない罪悪感に押しつぶされることだろう。


 その一方で、真由美には属している共同体があった。

 闇の教団、といえるほど怪しくもなければ危険でもないのだが、そこが闇に支配されていることに間違いはない。
 陽の当たらない真っ暗なこの場所は、古紙の香りが充満した倉庫のように心を静めてくれる空間だった。
 なにも彼女のような容姿に恵まれない人々だけが住み着いているわけではない。それどころか、世間一般でいうところの勝ち組ではないかと疑われる人が、この闇のなかでひっそりと息づいて羽を休めていたりするのだった。
 詮索は許されない。どうしてあなたのような人がここに?などと尋ねるのは御法度だ。それは絶対不可侵の領域を犯そうとする態度にほかならないからだ。善意で理解しようとつとめることは、ここでは傲慢な態度でしかない。『私にはあなたを理解するだけの知性がある』という傲慢だ。

 ともかくして、この共同体が存続することが、猫に愛情を注ぐための絶対条件なのだった。

 ところが、あるときから共同体は存亡の危機に立たされるようになった。その唐突さといえば、快進撃の吉報しか報道されない戦時下に、つと自国領土内の上空に敵の機影が現れたかのようで、鳴り響く空襲警報はまさしく寝耳に水だった。

 だが投下されたのは、爆弾でも、あるいは焼夷弾でもなかった。

 一見してそれらは、ひらひらと舞い落ちるだけで、なんらの殺傷能力はないように思える。もっとも、それがこの襲撃の卑劣なところでもあり、おもちゃ型地雷が子供を傷つけるように彼らを痛めつけるのだった。
 この舞っている玩具地雷……
 それはキラキラと笑顔が輝く人々の、しあわせな写真の数々だった。

 パニックに陥った住人たちは、闇を取り戻そうと、それら1枚1枚に『死ね』とか『消えろ』とかような言葉をマジックで重ね重ね書き連ね、真っ黒に塗りつぶすのだった。彼らにしてみればそれは本土防衛のための対抗手段であり、自衛だった。

 そうして真由美は今日も、猫のアメショーを抱きかかえながら誹謗中傷を繰り返すのだったが、圧倒的な量の焼夷弾を間断なく投じてくるB-29に対して竹槍で挑んでいるようなこの戦いに、どこか疲弊しているのだった。

 「はあ・・・」と負け戦に大きな溜息をつく真由美。

 郵便受けのビラはいつもなら少しも目を通さずに古紙袋へ押し込むのに、今日は1枚だけどうにも気になってしまうのがあり、リビングまで持ってきてテーブル上に置いていた。しかもほとんど無意識に、自分でことさら目につくように置いているのだった。

 ビラにはこう書かれている。
『あなたに摩訶不思議な経験を。【催眠術師・セラ ケンタロウ】』

 思い立った真由美はビラに載っている番号を、猛然と打ち込んだ。
「あっ!もしもしーっ!あのぉ、チラシ見て電話したんですけどぉ」

 30分後、前金の1万円を払った彼女は、もう催眠術師の手にかかっていた。

 「いいですか、真由美さん。この5円玉をじっと見ていてくさい」
ペテン師は赤い毛糸で吊るしたその小銭を彼女の目の前に掲げて、左右へ揺らす。
「いいですか、目で追ってください。首は動かしてはいけません」
だんだんと真由美の表情は虚ろになってゆく。ペテン師は彼女の顎に手を添え、振れる小銭の動きとは逆に、すれ違うように彼女の首をやさしく揺り動かした。その最中、彼はずっとこんなこと繰り返し述べていた。
「あなたは可愛い、あなたは可愛い、あなたは可愛い、あなたは……」

 すると真由美も自分から言いだすのだった。

 「わたしは可愛い、わたしは可愛い、わたしは可愛い、わたしは……」
いつしかペテン師は添えていた手を離し、口も閉じていた。だが真由美の顔は相変わらず小銭とすれ違って左右に振れていたし、「わたしは可愛い……」と変わらず言い続けているのだった。

 帰宅した真由美は、猫に餌をあたえると真っ先に洗面台へ向かった。鏡をこんなに愛おしく思ったことはなかった。
 生まれて初めて自撮りをしてみた。
『やだ、可愛いじゃない……』

 ドキドキしながら写真をSNSにアップロードした。

 だがここで迷いが生じた。やっぱり消そう!と慌ててSNSを開くと、その写真には、2つの「スキ」がついていた。
 真由美は膝から崩れ落ち、熱い目頭を両手で覆った。


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