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自由を制限している原因①※⑤無意識さんから見た世界【マガジンⅣ】

ワタシは
「意識くん」が見たくないであろうものを、
勝手な判断でしたが
すべて引き受けてきました。

そして良かれと思い私が設定した
【初回感知不快の自動回避プログラム】の影響も相まってしまい、
「意識くん」がアウトプットする際、
気づかないうちに行動制限がかかってしまっていました。


※【初回感知不快の自動回避プログラム】についてはこちらに。


上記の投稿では、
不快を感じることに臆病になりすぎたせいで、
自分に対して過保護になりすぎてしまい、
新しい経験や感じ方の多様性を生み出す可能性を
消してしまっていた
というお話と、
それを改善する方法をお話しました。


今回は、
その他の行動制限の阻害要素について
お話していきます。


実は『ご主人(私)』は、
お互い想い合っていた方との死別を経験しています。
それからというもの
「人との別れ」に対して非常に強い過度な警戒心を抱くようになりました。

それからというもの、
人が自分から離れていかないように、
それによって自分が、
それよりも深い傷ではなくとも
同じように傷つかないよう、
他者に対して不快を与えないように非常に気を使うようになったのです。

本当はそこまで気を使わなくても、
離れていくことはないのに。


そんな経験をしてなくとも、
人に嫌われたくないという感情を持っている方は
多くいらっしゃるのではないのでないでしょうか。

このような大なり小なりの心的ショックが、
自分でも気がつかない無意識下で知らないうちに、
自ら自由度を狭めてしまうのだと
ワタシは考えています。


想像してみてください。

どんなことをしたら怪我をしてしまうのかすらわからなった
何も知らない幼少期。

人が何を思うかなど気に留めず、
自分の心の欲求をそのまま行動に移していたあの頃。

皆さんにもあったと思います。

物心ついて、
家族の不快なる行動は徹底的に抑制され、
自分の取り巻く世間の常識の範囲内で、
そこから逸脱した行為に対しては、
理由も聞かれることなく頭ごなしに、
あたかも人格否定にも似た扱いを受けることも、
人によってはあったかもしれませんね。

体が小さく、
語彙力もなく、
大人が発する威圧感によって、
自分の思いや考えを伝える余裕すら持てず、
もし伝えられたとしても、
それをしただけで言い訳だの口答えだの屁理屈だの言われ、
不快を感じた者こそが正義を振りかざしても良いと言わんばかりの
理不尽な経験をしてきたこともあったかもしれません。

そのような経験を重ねるうちに、

「思ったことを言うことすら許されない世界なんだ」


と心のどこかで諦めてしまったことが、
見えない傷として無意識下に残ってしまっているのでないのか
と思うのです。


そしてそんな経験を続けていくにつれ、
いつしか

素直に何かを感じることは無駄
だったら心が傷つかないように
感じる前に自己変換して
感情を何も感じないようにしてしまった方が
この世界で生きていく上では楽だ


少なくとも『ご主人(私)』はそう思うようになったのです。

そうしていろいろなことに対して不感症になっていき、
自分が本当は何を感じているのか、
心の底では何を思っているのか、
そんなことはどうでもよくなってしまい、
如何にして傷つかないようにするかだけに振り切って
様々なものにあまり関心を示さない人間になっていきました。

子供の頃から好きだったアニメや漫画。
おもちゃ。
音楽はずっと好き。
何かしらそれに似たものを好きにはなる。
けどその枠以外のものには興味を示すことがなく、
ずっと同じようなものばかりに囲まれて生きてきました。

外界からの異物をシャットダウンし、
まるで
自分の世界を
守るかのように。

似通ったものの中に身を置くと、
見える景色や得られる感情は、
種類が違うから全く別物と思いやすいのですが、
当然それすらも似通ったものになってくるため、
心のどこかで物足りなさがどんどん溜まっていくようになりました。
でもなぜそれが起こっているのかは、
当の本人にはわからないのです。
だって心地良さだと自分が思っているものに囲まれているのに
心が乾いているという矛盾が生まれているのだから。

それをなんとかしたいと思っても、
心地良さの中に居すぎたせいか、
もうその外に出るのが怖くなってしまっていて、
一歩外に踏み出そうという気が起きない。

踏み出しても自分が望んだものが得られないかもしれない。
自分がしたことが無駄だと思いたくない。
もしそれを人に知られた時にバカにされたくない。

傷つく可能性の方が圧倒的に多い気がして、
足がすくんで動けなくなる。

傷つきたくない。
嫌われたくない。
嫌いになりたくない。

興味関心に従って動くとそんな結果につながるかもしれない。


だったら別に今のままでいい


その繰り返し。

だってそんなことしなくても死なないし。
別にこのままでも今までが続くだけでこれ以上傷つかないし。

原因不明のモヤモヤやもどかしさや物足りなさがあることも
ずっと変わらないけど、
別にそんな自分の気持ちなんていつまでも誤魔化せるし。



そうやって素直な感情からずっと逃げ続けていました。


②につづく。


私の為に使わせていただくというよりは、 身の周りで助けてくれる人へのお礼として使わせていただきたいと考えてます。 せっかく私の為にご用意くださったものなのにごめんなさいね。 私は余生を、出来る限りの有難うを伝えて過ごしていきたいの。 気持ちを汲んでいただけると嬉しいです。