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死片

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#自殺

鮮血

鮮血

とある人から聞いた話。

彼は高校生の時、偶然人が飛び降り自殺をする現場に居合わせたらしい。
曰く、学校に処用で立ち寄った際に、屋上から学生が落ち、頭を地面に打ちそのまま亡くなってしまったという。

彼はその光景を目にし、
「美しい。鮮血が綺麗だ。」
という感想を抱いたそうだ。

と、彼の話はここまで。
客観的に聞くと、相当ヤバい話だ。
私も始めてその話を聞いた時は、正直ドン引きした。

人の死を

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生きるより死ぬことの方が難しい。

生きるより死ぬことの方が難しい。

最近、何故か眠るという単純な行為がなかなか簡単にいかない。

昨夜もなかなか寝付けずにいると、なんの契機もなく、脈絡もない夢想が落ちてくる。

「生きるより死ぬことの方が難しいのではないか?」と。

日本では毎年自殺者の多いことが問題にされるが、恐らく実際には「死んだ方」より「死にたいけど、死ねなかった方」の方が多いのではないかと想像する。

「死を想う」ことと「死を行う」ことの間には巨大な障壁が

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誰もが持つ「死」への興味

誰もが持つ「死」への興味

人間誰しも1度くらいは
「人は死んだらどうなるのだろう?」
と考えた経験があるはずだ。

それはすなわち、人間には共通して死への興味がある、ということである。

人間の本性人間には未知の(知覚したことはあるがそれが何か未だ知らない)ものに対して興味を抱く性質がある。というのも、人は産まれた時から、未知なものに興味を持ち、自ら学びそれを既知とすることで成長する為、未知へ興味を抱く主体的特性は先天的に

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人生を削って書いたとて、、

人生を削って書いたとて、、

草木も末枯れて、冬が陣痛し始めている。
こういう季節に立ち入ると、時間の経過にも疎くなり、黄昏を迎えるのにはっとするほどである。

さりて、慌てて今日をいかに綴ろうかと思い悩みながら、
スタンドライトの仄明るさの下に、筆を執っている次第である。

さて、

一昨日の記事は尋常ならぬ気合で以て書いた。
人生を削って書いた。

痩身の身体は乾固し削り節を作るには恰好ではあるが、
なんせもうカッ削るとこ

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あー、もう死んじゃおうかなぁ。

あー、もう死んじゃおうかなぁ。

「あー、もう死んじゃおうかなぁ。」
こういう傷心を憂う日々が定期的に訪れる。

こうなると、ひたすらに焦燥が心を焼き燥いで、永遠に潤うことのない渇きに苛立ちを覚え、寝ることすら容易ではない。

苛立ちは破壊衝動になる。
目に映るすべてを壊したい。
でも何も出来ない。
それが一層苛立ちを高める。

ひたすら鬱の泥沼に嵌っていく。
どれだけ足掻こうと泥濘に足が取られていく。

だが、泥濘に抱擁される足

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自殺してみた

自殺してみた

「そうだ。自分を殺してみよう。」そう思っ至ったのは、去年の暮、
明確に記憶している、2019年12月1日だった。

22歳、小学生だったあの頃から、ニヒリストとして
見えない対象に懊悩を繰り返して、凡そ10年。
自堕落に肉体を安息させてきたこの10年。
お陰で、身体は健康そのもので、また、それ故に、不吉な塊肉としてまとわりついてきた。

一方、存在価値を暗澹の内で探し求めることで、精神は彫刻のよう

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