見出し画像

私は東京を知らない


今日は大貫妙子の名曲、「都会」を聴きながら、読んでほしい。

華やかできらびやかな眠らない夜の街は、泡のように儚いという歌詞。
どこかアンニュイでいて、体が動き出すようなグルーヴィーなサウンドが心地いい。

「東京ってやっぱすごい」


そう思ったのは2014年、高校生で初めて東京へ修学旅行に行った時だ。
その時行った所といえば、ディズニーシーに原宿、渋谷、下北沢、お台場、その辺りだったと思う。

町中には人だらけで、ファッションビルや個人店が軒を連ねる繫華街。
オシャレな人や観光客らしき外国人も多くて、同じ日本なのに異文化の場所に思えた。
飲食店は選び放題、服だって田舎にはないような洒落たデザイン。
ファッション雑誌に載っていた古着屋もイケてた。

「大学生か社会人になったら、いつかこんな場所で働くこともできるんだ」

そう心が躍った記憶がある。


しかし実際には高校までは町内の地元に進学し、大学は県内に通うことになった。東京は遠いという理由で選択肢にもならなかった。

結局大学までは実家から出ることなく、学生生活を終えた。
「井の中の蛙大海を知らず」状態だと自覚した。

一人暮らしをしている人に尊敬の気持ちもありながらどこか羨む気持ちもあった。

だから社会人になったら自分の稼ぎで生活をしていくのだから、県外に出よう、一人暮らしをしようと思った。
その時でもやっぱり東京への怖さを抱えていた。
大学生になり、東京は3回程古着屋めぐりやceroのオムニバスライブで行くことがあったが、「住む」のは怖気づいた。


自分の知らない世界が多すぎて、過敏な自分には太刀打ちできない何かがあるのではないかと思ったのもある。
それからあまり実家から遠い場所に住んでしまうと、二度と故郷に住む選択肢は持てないのではないかとか、結婚して年に1~2回しか実家に帰ることができないのは悲しすぎるとも思ったから。
もしこの先子供ができても、孫に合わせてあげられない両親の気持ちや祖父母に会えない子供の気持ちを考えるとそれは寂しいな、なんて考えもよぎっていたから。

せめて出るとしたら関西までだな、と。
仕事は洋服に関わる仕事がしたかった。
念願叶って関西の会社に入れることになって、それは実現した。

ただ今になって思うのは、勇気を振り絞って若いうちは東京で働いて、そういう風に今後の人生を考えるタイミングで、関西に戻る選択肢もありだったなと。

でもどうなんだろう。
もしも東京で社会人生活を送っていたとして、もしもそこで彼氏ができて、この先の将来も一緒に過ごしたい人と出会っていたら、そんな自分に都合のいいことはできただろうか。
その彼氏の地元が東京じゃなくて他の地方で、お互いの実家に帰ることになるなら、それこそ多くても地元に戻って顔を合わせられるのは年に1~2回になる。

やっぱり冷静に考えても東京に住むのは現実的な選択ではなかった。
3年とか、期限が決まっているなら住みたいと心の底から思う。
でも実際そんな会社は少ないと思う。

私が「この人生の選択で良かった」と思えたのは、関西で「人生のパートナー」に出会えた時だった。
進学先や就職先など、何か一つでも違う選択をしていたら、このタイミングでこの人に出会うことは永遠になかった。
出会うべくして出会った大切な人だ。

あと東京は、自分からつながりを作っていくタイプであれば、人間関係の輪を広げて楽しく暮らせる場所だと思う。
社会人になってから、東京に行ったときは古着屋なんかの個人のお店を訪ねて、人間関係を作るように心がけている。
阿佐ヶ谷の古着屋で出会った人は私と同い年だったから、コロナ渦での新卒時代の話や、「今の年齢って皆人生の方向性で悩む時期だよね」なんて話をしながらインスタの交換なんかもした。

だから私は初対面の人であってもこうやって知り合いになるのは得意だから、東京でもなんとか人間関係を作ることはできるんじゃないかなんて思う。

それから東京は日本の首都だから手に入らないものはない。
物だけでなく、美術館や映画館にライブハウスなんかの文化施設や様々なサービスも充実してるし、住む人が多いからこそ多様な価値観を知ることができる。目には見えないが、それらは大きな資産になる。
社会人2~3年目の頃それが無性に羨ましかった。
時代や日本の中心にいることをハッキリと自覚できる場所。それが東京。


でも数年たって、暮らすとなったら別問題だなと思うようになった。
そこにはリアルな生活がある。
弱肉強食ともいえる明らかな資本主義の世界で、仕事が上手くいかなくなったらたちまち生活に困る。
都会はお金があればどこまでも楽しめる場所。
だけどお金がなかったら一気に生活の質は落ちる可能性も含んでいる。
給料は全国平均よりも高くても、家賃がそれ以上に高い。
利便性ゆえの代償とはいえ、何か上手く行かなくなったら生きるために生きなければならない。それってしんどくないか。

地方とはいえまだ関西くらいならば、東京ほど都会でなくて、それでいて地方のいいとこどりのように思う。

東京は気が向いた時に、興味のある場所にふらっと行けばいい。
気に入ったらそこに何度も行けばいい。関西からなら新幹線なり夜行バスなり、割と気楽に行ける。行きたければ、年に3~4回だって行けばいい。

私はファッション、インテリア、音楽、美術館、映画が好きだ。
その時その時、東京に行ってそれらを吸収すればいい。
私がしたいことをするのに、場所の優劣というのは、甘いなと思った。
大切なのは、独自のセンスを磨くこと。
東京でないとセンスは磨けないということはないはずだ。

関西には緑が美しい六甲山と、見下ろせば夜景の美しい神戸がある。
平安時代に作られた美しい都、そこに今も集う人々がいる。
少し足を延ばせば、歴史的なものや美しい自然にアクセスできる。
もちろん東京よりは会期は遅いが、展覧会も開催してくれる。

私の地元には、他島美や煌めく水面が美しい瀬戸内海がある。
しまなみ海道や瀬戸大橋、日本のエーゲ海がある。
三年に一度、瀬戸内国際芸術祭というアートの祭典がある。
シネマクレールという、尊いミニシアターだってある。
白桃やマスカットなんかのフルーツはまるで食べる宝石のようだし、瀬戸内海気候の温暖で天気のいい気候だってある。

センスは美しい自然の中と、選び取ることによって磨かれる。

あと、大学までの22年間の間に出会った人もいる。
その人たちともゆるゆると繋がりながら生活するのも幸せではないか。
東京にも友達を作ればいい、今やSNSがそのきっかけになってくれる。
現に阿佐ヶ谷の古着屋で友達だってできたじゃない。

私はきっとこの先も東京という都会を知らない。
スイスイと美しく水面を滑る白鳥のように、美しい人たち。
でもそこには、他人が想像し得ない努力や葛藤が伴っていること。
それを忘れないようにいたい。

美しい部分ばかりに気を取られずに、自分の身の丈に合った生き方を模索すればいい。

そう思えたら、東京こそ全てなんて思わなくていい。
勝手に作り上げた「東京コンプレックス」なんて持つ必要はない。
だって東京は日本の首都。そもそも比較するものじゃない。
東京は遊びに行って楽しい場所。それに気づくのが20代で良かった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?