#エッセイ
"早く絶版になってほしい#駄言辞典"
現役時代に大記録を打ち立てたコメンテーターが、ある女子競技に対して侮蔑的な発言をした。例によって、後日、本意ではなかったとの釈明をすることになった。言葉足らずとのことだが、真反対のことを言っているのに、どのように言葉を補えば、その本意にもっていけるのかということが気になった。
これほどひどいのは極端な例かもしれないが、前からずっと違和感を覚えていたことがある。
なぜ女子選手だけやたら「マ
「夜には晴れるでしょう」と言われても...
天気予報でたまに耳にする表現、「夜には晴れるでしょう」には微妙な引っ掛かりを覚える。
天気用語には厳密な定義があるようだ。そのうえで公式の予報でアナウンスしているのだから、正しい言い方なのだろう。
「晴れ」ということばでほとんどの人が頭に描くのは、青空だろう。日も差しているはずだ。そもそもこの漢字の中には「日」も「青」も入っている。
だから引っ掛かる。
澄み切った夜空を表すのに「晴れ」以外
「否定できない」のうさんくささ
「否定できない」という言い回しが苦手だ。
文脈から判断すると、断言はできないが可能性があるということをにおわせ、読み手側に一定の効果を及ぼすことを狙っているのだろう。
断言しているわけではない。だから言った側は責任を負うつもりはない。どうとらえるかは、読んだ側の判断だ。といったかなり狡猾な逃げを打ちながら、ある方向に読み手を誘導しようという魂胆が透けて見える。
「Aである」という文の意味はは
「せいぜい」頑張ってください
だいぶ前にテレビで観たオリンピック代表選手の壮行会だったか。時の首相が挨拶の中で、「せいぜい頑張ってください」というのを聞いて微妙な引っかかりを覚えた。
大急ぎで言い足すが、このことば遣いはまったく正しい。あらためて辞書を引くまでもなく、力の限り頑張ってほしいと言っているわけだから、何らいちゃもんをつける筋合いはない。しかし何だ、この違和感は。
日常生活で「せいぜい頑張れ」と言うのは、期待して